2013-01-01から1年間の記事一覧

仮想現実

生身の人間とリアルタイムで同じ動きをするキャラクターたち。この技術が進歩すれば、スタントマンのような黒子の動作モデルだけ雇えばよくなり、いずれ俳優は職業として必要がなくなるだろう。この技術の進歩は、気の遠くなるような枚数を地道に描き重ね、…

「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の肖像」展

上野の東京都美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像」を見に行った。出展されていたダ・ヴィンチ作品は、ほとんどが「手稿」と称されるアイデアメモ(一部は単なる落書き)であり、画家としての作品は、宣伝素材として使われている「音楽…

ある寓話

「今日は、御社の業務効率化についてお話に参りました」 画面に映っている若い男の計算づくで作りこまれたような笑顔を見ながら、わたしはこのテレビ電話というものにどうしても馴染めない自分を感じていた。けれども、テレビ電話の使用が法的に義務づけられ…

昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹)

太平洋戦争が開戦する昭和16年、官庁や民間企業の三十代の選良を選抜して「総力戦研究所」なるものが組織され、そこの戦争シミュレーションは、対英米蘭戦争における日本の必敗をはじき出した。彼らが出した答えは、結論だけでなくそこへ至るプロセスもほ…

歩いて帰ろう

よく知られている話だと思うが、この「歩いて帰ろう」という曲は、ポンキッキーズというかつてあった朝の子供番組のオープニングソングで、この曲が流れるのは、ちょうど自分が出勤する時間帯だった。嘘でごまかして 過ごしてしまえば 頼みもしないのに 同じ…

ロビンソン

この歌のタイトルの「ロビンソン」が何を意味するのか、いまがにわからない。自分にとって「ロビンソン」といえば、「人間風車」の異名をとったプロレスラーのビル・ロビンソンだが、まさかそこにちなんでいるわけでもあるまい。(しかし、草野正宗は同世代…

花火

ある芸能人が「椎名林檎は秀才だが、aikoは天才だ」と、ほぼ同時期に活躍していた二人を比較して述べているのを読んだことがある。自分はこの言葉に共感を覚える。そんなにすごいのかといえば、やっぱりすごい。この人が、自身の作曲の方法を語るのを聞いた…

情けない男

ある日、都内の喫茶店で長時間粘っていたとき、隣の席に座っていたカップルが二人で温泉旅行に行く計画を延々と話し合っていたのを聞いていたことがある。 男の方が旅行の概要をあらかじめプランニングしてきて、女にプレゼンテーションする形式で話し合いが…

ためらい

最近、ゆうに五十は越えたかと思われる中高年同士のカップルが、手をつないだり腕を組んでいるのをよく見かける。自分にはこれが、自身が中年なのをさておき、とても薄汚い光景に見える。 「中高年は恋愛するな」というわけではない。ただ、若者の恋愛と違い…

海 その愛

加山雄三は、二物も三物も持ち合わせてこの世に生まれてきた、一種の万能の天才だと思う。この人が数年前日経新聞で連載していた「私の履歴書」を読むと、若い頃から、沸騰する好奇心をバネに、鋭敏な頭脳と尖った才能を遺憾なく発揮してきたことがよく判る…

別れの予感

かつてカラオケというのは昨今のような気楽なものではなく、ある緊張感をもって挑むべき対象であり、酒の力を借りずには歌えたものではなかった。そもそも、人前で歌をうたうという行為には生理的欲求を公衆の面前で満たすのに似た恥ずかしさがあって、今の…

制服

この曲は、「赤いスイートピー」のB面として世に出たもので、松田聖子の並みいる大ヒット曲の陰に隠れた地味な存在ではあるが、根強い愛好者がいる(と聞いたことがある)。なにせ、松本隆作詞・松任谷由実(呉田軽穂)作曲だから、出来が悪いはずがない。高…

人生は穴掘りか

かつて、「徳川埋蔵金」などの地中深く隠された伝説のお宝を探す番組があった。綿密な(?)事前調査によって場所に当たりをつけてのち、ショベルカーやらブルドーザーやらを使って大穴を掘りまくるだけなのだが、結局、お宝は見つからなかった、というのが…

お客様は神様か

三波春夫の「お客様は神様です」という言葉の意味は、巷間ひろく理解されているように「観客席のお客様は、神様のように大切な存在です」ということでは実は無い。 かれは、あるテレビ番組で、こんなことを語っている。「僕が『お客様は神様でございます』と…

岳 〜みんなの山

自己の体験に深く根ざした畢生の名作をひとつ書き、そして消えていく作家というものがある。自分の知る範囲では、文学においては「戦艦大和ノ最期」を書いた吉田満、「銀の匙」を書いた中勘助がそれにあたる。もっとも吉田満はその体験と作品があまりにシリ…

議論

多くの人が集まって議論するとき、素晴らしい知恵が出てくるときと、愚論が百出するときがある。これには俎上に上げるテーマの質と、参加するメンバーの質という二つの要因が影響する。まず、テーマについて言うと、テーマには衆知を集めて議論すべきものと…

里の秋

これは、母と子どもが、秋が深まった里山で、太平洋戦争で南方に出征した父の生還を待っている歌である。このことは、三番まで聞いてようやくわかる仕組みになっている。 【三番】 さよならさよなら 椰子(ヤシ)の島 お舟にゆられて 帰られる ああ 父さんよ 御…

言葉にできない

自分は横浜の片田舎で育ったが、最寄駅の商店街に「小田薬局」という薬屋兼化粧品店があり、ここがオフコースの小田和正の実家であるということは地元では有名な話だった。だからなんだと思われてしまいそうだが、要はこの人には同郷という抜きがたい親しみ…

十七歳の地図

プロゴルファーの石川遼が登場したとき、天賦の才能とルックスの奇跡的な両立ぶりと、仕事に取り組む姿勢のひたむきさに「まるで尾崎豊のようだ」と思った。同じように若くして同世代から抜きんでて才能を輝かせた二人だが、尾崎が破滅し、遼くんが破滅しそ…

頭と手

ビートたけしの対談集を読んでいたら「医者というのは『頭』と『手』の両方の器用さが求められる希な職業だ」といっている箇所があった。 「頭」とは医学知識をインプットして臨床にアウトプットする頭脳のことをいい、「手」とは手術をするときにメスさばき…

ハイデガーと庄野潤三

哲学者の木田元は、満州に生まれ、海軍兵学校で終戦を迎え、戦後は闇米屋をしていた。そういった前半生の乱脈ぶりから、東北大学入学から始まる後半生の学究人生への転換は一見奇矯な印象も受けるが、乱脈的実生活から生じた普遍性的思想への希求という文脈…

滅びの予感

井上靖の「大洗の月」という短編は、なんとなく人生に絶望している男が月見に行くという話だが、その主人公は、その絶望感を「間歇的に自分に訪れる滅びの予感」と表現する。「滅びの予感」とはいい言葉だな、と思ったのは、ここ数年、自分が常日頃抱いてい…

くみとり便所の思い出

かなり以前の話になるが、北朝鮮政府が国民に対して一人当たり年間2トンの糞尿を国家に拠出するように義務づけているという報道を見聞きした覚えがある。 糞尿は言うまでもなく田畑の肥やしにするためである。肥溜めがそこかしこにあったかつての日本の里山…

運命

この曲を聞くたびに深く感動する。しかし、自分がいったい何に感動しているのかがさっぱりわからない。雄大さ、緻密さ、そんな言葉では形容できない、なにか圧倒的なものにとりこまれて、感動せざるをえないのだひょっとすると人間の心の底には、言葉もなく…

いまさら

母親は、自分がこれまでの人生で一番長く濃密に関わった女性だから、自分の女性観がこの人によって形づくられているのは否定のしようがない。同じように考えると、自分の娘の男性観は、きっと自分によって形づくられてしまうのだろう。だからといって、今さ…

独りの時間

二三ヶ月に一回ほど、たった一人で酒を飲む。飲むといっても昼間は喫茶メニューになる店で、ハイボールと簡単なつまみで数百円のセットを注文するといったしごく安上がりなものだが、自分とじっくり対話ができる、こういう時間はしみじみと愉しい。 突然妙な…

なみだ恋

さすがに今はそれほどでもないが、自分は子どものころ八代亜紀が大好きだった。なぜ好きだったのかうまく説明できないが(もっとも好きというのは常にうまく説明できないものではあるが)、ひとことで言えばこの人に「大人の女性」の象徴を見ていたのだろう…

5月の別れ

井上陽水は、自分の中では作家の安倍公房とイメージが重なる部分がある。その感じはなんとも形容しづらいが、あえて意味不明な説明を試みれば、圧倒的な芸術的才能と、知性とユーモアが両立しているところ、とでもいおうか。この「5月の別れ」という歌は、自…

体罰と暴行の間(下)

かつて体罰が当然のこととして受け止められていた組織や社会に属し、それなりの成果や効果を挙げた経験がある人たちの中には、体罰の効用を説く人が少ならずいる。そういう人の気持ちは、そういう社会で過ごした経験がある自分にはよくわかる。しかしその成…

体罰と暴行の間(中)

日本体育大学が、「反体罰・反暴力宣言」というものを発表した。http://www.nittai.ac.jp/important/post_143.html 自分の常識では、大学の体育会運動部(日体大の場合は学友会)は学年間序列とそれを維持するための体罰の巣窟であり、その総本山ともいえる…