滅びの予感

井上靖の「大洗の月」という短編は、なんとなく人生に絶望している男が月見に行くという話だが、その主人公は、その絶望感を「間歇的に自分に訪れる滅びの予感」と表現する。「滅びの予感」とはいい言葉だな、と思ったのは、ここ数年、自分が常日頃抱いている生活感情に、ぴたりと当てはまるものだったからだ。今自分は、自分なんか滅んでもいっこうに構わないとどこかで思っている。それは、自分が徐々に滅んでいくその間に、娘がどんどん成長しているからだ。他の人は知らないが、少なくとも自分は、自分の子どもが産まれてやっと、自分の滅びをきちんと受け入れられるようになった。滅ぶことも、そう悪いことではないのだと。