2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

東京都知事選前夜

明治維新まで、日本の庶民は領主が誰になろうとさして関心はなかった。世の中が「戦国時代」であっても、それは殺し合いをしている武士の世界だけの話で、農民は、ただ、春に田植えをして、秋に収穫をして、お祭りをした後に冬ごもりのしたくをするループの…

再び思想の時代へ

敗戦直後、坂口安吾の「堕落論」という文章が評判になった。彼がこの中で言いたかったことは、「人間はえらそうにしているが実はたいしたことはない(堕落した存在だ)」ということだが、これは明治期の自然主義文学と通底する気分である。 自然主義文学とは…

役に立とうが立つまいが

知性の衣をまとおうが、あからさまな暴論だろうが、いま世の中には「働けなくなった老人は社会のお荷物だから早く死ね」的な言いざまが吹き荒れている。これは他者に対する惻隠の情がないという意味で「冷酷」であり、いずれ自分もそうなるということに思考…

自分とのつきあい方

年齢を重ねて覚えるのは、ヒトとのつきあい方よりも、自分とのつきあい方だ。ヒトとのつきあい方は外側から教えてくれるが、自分とのつきあい方は内側から見つけ出すほかない。そして、自分の心体は途切れなく変わり続けるものだから、つきあい方も歩調を合…

無邪気な変態

現日本国憲法が国家権力を縛る立場であるのに比して、自民党の憲法草案は国民を縛ることを主眼にしているのだが、とても不思議なのは、こういう憲法草案を作(りたが)る自民党の誰かは、自分たちは国家権力の側に永久に居続けられると無邪気に信じているき…

「死後」の世界

哲学でいう「独我論」とは、実在しているのは自分自身だけで、それ以外の他人やモノなどはすべて妄想だという考え方のことだ。 「そんな手前勝手な、自己中心的な話はあるものか、他者は妄想ではなく、確かに存在しているではないか」と、我々のコモンセンス…