再び思想の時代へ

 敗戦直後、坂口安吾の「堕落論」という文章が評判になった。彼がこの中で言いたかったことは、「人間はえらそうにしているが実はたいしたことはない(堕落した存在だ)」ということだが、これは明治期の自然主義文学と通底する気分である。

自然主義文学とは、宿命的にダメな存在である人間が、ダメなことを言ったり、ダメなことをしたりする様相を、ありていに描写したものである。その作品世界には、間違っても立派なことをしたり立派なことを言ったりする人間は登場しない。登場してもパロディにされるか、たちまち化けの皮を剥がされて、ホルマリン漬けにされ、ダメ人間の一標本として並べられる。自然主義文学のコスモロジーの中では、立派な人間は立派なままではいられない。

戦時中は、国中で「神州不滅」とか「皇軍」という威勢のいい言葉が飛び交っていたが、完膚無きまでに負けてみれば、もともと人間なんて普遍的にダメな存在で、日本人はそれに輪をかけてダメダメだった・・「堕落論」が本筋でいいたいのは、そういうことである。

昭和初期に、小説家・正宗白鳥と評論家・小林秀雄による「思想と実生活」論争というものがあった。これは当時、世界的尊敬を集めていた文豪トルストイが、田舎の停車場でひとり死んだという事実をどう捉えるべきかを論じ合ったものである。

白鳥は「恐妻家のトルストイは妻の虐待に耐えられず家から逃げ出し、そこいらの乞食よろしく、惨めな野垂れ死にをした。人類の教師もしょせんは生身の人間。人生の真相かくのごとし」と詠嘆する。

一方の小林秀雄の論立てはこうだ。どんな偉大な人間も人間の肉体から産まれるように、どんな高邁な思想も日々の実生活の積み重ねから産まれる。うんざりするような日常の反復も実生活であり、理不尽な突発事故に巻き込まれるのも実生活である。実生活の裏づけのない思想は空辣だ。

しかし思想はいったん実生活から昇華し、言葉や論理として結実したら、日常些末を超越した不滅の光を世に放ち始める。その光の価値は、生みの親であるトルストイが、妻に虐待されたあげく田舎の停車場で野垂れ死にしようが、王宮の病床で敬意に包まれながら看取られようが、まったく関係ないのである、と。

この両者の論争は(たいていの論争が多かれ少なかれそうであるように)微妙なところですれ違っている。正宗白鳥は、「トルストイは田舎の停車場で野垂れ死にした。だからその思想もたいしたことはない」なんて一言もいっていないのである。白鳥は「思想は思想としてその偉大さは十分認めるが、トルストイも神ならぬ生身の人間、一個のご老体に過ぎなかった」という至極穏当な文学的感傷にふけっているだけだ。

白鳥の立場はわかりやすいが、小林秀雄の言い分はわかりにくい。忖度するところ彼は、「偉大な文豪」と「そこいらの乞食」を「どっちも人間である」という共通因数でくくり味噌も糞も一緒にして安心しているような自然主義文学的態度そのものが大嫌いで、その象徴的存在である大家・正宗白鳥に噛みついているのである。

「思想と実生活」「形而上と形而下」「絶対と相対」、あるいは現象としての「束縛と弛緩」という二項は、人間の社会や歴史の中で互い違いに顕れる。「思想」が掲げた旗印が焼け落ちたあとには、地べたでの「実生活」が横溢する時代が来る。そして「実生活」が爛熟し堕落すれば、統制的な「思想」が魅力的に映る時代が訪れる。大げさに言えば、これが人類史のセオリーである。

武士道という「思想」が支配していた徳川時代が去り明治時代になると、自由民権をもてはやす世相とともに自然主義の文化が隆盛した。この趨勢は大正デモクラシーで爛熟期を迎えるが、その終焉とともに軍国主義国家主義という「思想」の時代が訪れる。そして敗戦とともに「思想」の時代は終わり、再び「自然主義文学」の時代が訪れることになるのだが、その嚆矢となったのが冒頭に挙げた安吾の「堕落論」である。

この再来した「自然主義文学」の時代は、戦後70年続いたが、今、ふたたび「思想の時代」が訪れようとしている。しかしその「思想」は、先導している人間たちの知的レベルと連動し、過去のどの時代の思想と並べても甚だしく見劣りするもので、もっと言えば、とうてい思想と呼ぶに値しない。戦後70年続いた第二次自然主義文学の時代が終わるのは時の趨勢だとしても、それに取って代わるのはもっとマシな「思想」であるべきだと自分は考えている。