2017-01-01から1年間の記事一覧

フランシスコ・デ・ゴヤ「ラ・ソラーナ女侯爵 カルピオ伯爵夫人」

この絵のモデルの女性は、当時二十八歳ということだが、しばらく見ているとだんだん少女のように見えてくる。実生活でも、立派な成人女性から、かつて少女だった表情が垣間見える刹那があるが、それと似た心地がする。この作品は全身像であり、モデルには「…

合意と民意

日韓の「慰安婦合意」は、退任直前のオバマのレガシーづくりのためになされた強引な手打ちだから、オバマのレガシー破壊に勤しむことだけが生きがいのトランプは、合意の反古を目論む韓国側に立つケ―ス。 だから韓国政府は、現アホ日本政権と正面切ってケン…

ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」

迂闊な目には、色、形ともに、単純な部品の構成体のように見える作品だが、繊細な表現を要す箇所がたくさんあり、この作品の模写に挑む人のおそらくほとんどが、至るところで敗北感を味わいながら、描き進めざるを得なくなる、そんな作品である。このスケッ…

「牧神」を踊るヴァーツラフ・ニジンスキー

「若い婦人の肖像」 ドガの作品より

自分の中では、ドガの「若い婦人の肖像」は、世界絵画史上、肖像画部門の最高傑作。この絵は、これまで何回模写したかしれないが、うまく描けた試しがない。きょうは、久しぶりにネットでこの作品を見て、新しい発見があったので、モチーフにしてみたが、や…

「踊り子」 ドガの作品より

肖像

揺れない炎

「先生は死後の世界を信じていますか」 検査の最中、その末期ガンの男性患者は、医師にとってもっとも答えにくい質問をいきなり投げかけてきた。若い頃は、そんなものがあるとはチラリとも思わなかった。もっとも、今でも思っているわけではない。しかし、若…

喪失と再生 〜ミシュカの森2017 (下)

入江さんの、喪失から再生への道のりは、喪失体験で抱えた負のエネルギーを、新たな出会い、新しい人間関係を構築するプラスのエネルギーに換えることから始まった。人間は希望によっても繋がることができるし、絶望によっても繋がることができる。人間と人…

喪失と再生 〜ミシュカの森2017 (上)

慶應義塾大学で開催された「ミシュカの森2017 子どもの命の傍らで」という講演会を聴きに行く。「ミシュカの森」を主宰しているのは、2000年に起きた世田谷一家殺害事件で亡くなった主婦の姉で、文筆家の入江杏さんである。入江さんは、遺族を失い、心に悲し…

肖像

my daughter

絵と歌

絵を描くのと、歌を唄うのは似ている。どちらも上手くやろうとすると、ダメになる。しかし、上手くやろうとしないと、それはそれでダメになる。絵も歌も、自分が意識してやれる領域はごく狭い。内部から、自分の意思とは関わりなしく、否応なしにこみあげて…

「好き」という石垣

サッカーの元日本代表のゴールキーパー、川口能活選手の講演を聴く。長い経験の蓄積から滲み出る哲学の吐露は、もっとも聞く価値がある話のひとつだ。講演中、彼は「サッカーが好き」という言葉を繰り返した。彼は、サッカー人生を通じて、骨折、靱帯断裂、…

文明が手放した「自己肯定感」

先週に引き続き、昭和記念公園にいき、風景スケッチをする。家族連れや、カップル、若い男女のグループで賑わっていた。ここにいる人々は、みながみな、屈託はなさそうに見える。しかし、いま社会では、事態を正視できないような、凄惨な、救いようがない出…

昭和記念公園 徒然草 鈍き刀

とてもいい陽気だったので、久しぶりに外で絵でも描こうと思い、昭和記念公園に出かける。一枚あたり、三十分から一時間ほどかけて、場所を変えて四枚描き、疲れたので、芝生に寝ころんで本を読もうと思ったら、いくらも読まないうちに、眠ってしまった。目…

獅子文六 私小説「娘と私」 ※抜き書き

●その頃、私は、何かにつけて、父親の能力の限界を、知ることが、多くなった。いくら焦っても、できないことが、たくさんある。こんなにも、子を育てる父の力が、狭いものであるかと、驚くことが屡々だった。父が働き、母親が家と子を守る、世間一般の家庭が…

リベラル、あるいは左翼についての断章

●立憲民主党の代表になった枝野氏は、民主主義の要諦をトップ・ダウン(上からの指導)よりも、ボトム・アップ(下からの押し上げ)に置いている。組織体や、社会といった人間集団の、意思決定において、トップ・ダウンとボトム・アップのどちらがより有効か…

皇居・上野行(2017年10月8日)

皇居前広場で、数年ぶりに風景画を描く。使用したのはクレヨンのような太い鉛筆で、細かいところまで描き込めない分、大づかみで対象を捉えることができる。絵を描く作業はとても愉しい。モチーフを観察し、手を動かしていると、頭によどんでいた血液が、溶…

鉄火場でものをいう「教養」

いま、多くの政治家たちがこんなに醜いふるまいを満天下にさらしているのは、代議士が生活の糧や社会的存在感を得るための「職業」になっているところに一因がある。かつて政治家は資産家が自己の理想のために立ちあがり、すっからかんになって終わるような…

それぞれが棲む「煉獄」

今を時めく5人の「指導者」、トランプ・安倍晋三・金正恩・プーチン・習近平のうち、従来の国際政治学的分析の対象になりうるのは、かろうじてプーチンぐらいではなかろうか。 そのほかは自己保存第一に我儘放題、手当たり次第にデタラメをしているだけで、…

目標と目的の話

量と質の話 物ごとを評価するには、質を判定するか、量を計量するかの二つの方向がある。この二つはお互いに深い関係にもある。例えば、質は量に変換することもできる。「顔の美しさ」という質の判定は、観客の「投票の数」という量的な指標でひとまず顕すこ…

金魚

キンギョが2匹家に来た。眺めているといろいろなことが思い浮ぶ。 ものごとには、「目的」と「手段」と「条件」がある。通常、目的がないと手段も条件も決まらないと考えがちだが、実は順序が違うことが多く、手段を持ちそれを発揮できる条件が整ってからや…

練馬区立美術館「生誕150年記念 藤島武二展」2017年8月26日

練馬区立美術館に「藤島武二展」を見に行く。薩摩藩島津家の重臣の家柄で、兄二人は夭折し、彼は家督を次ぐ立場にあったらしいが、画家を志し十七歳で単身東京に出てから、生涯鹿児島には帰らなかったという。緑の大きな熊が看板を支えている。 現実を忠実に…

「刀」的なものについて

昔の不良は鉄パイプやチェーンや木刀を携えて戦いに臨んだものだが、不思議と死者や重傷者は出ていなかったように思う。その理由は、彼らの中では、これらの「武器」は威嚇あるいは覚悟表明のアイテムであって、実際に生身の人間を痛めつけるためのものでは…

日本の「失敗」とは何か

かつての大日本帝国陸海軍の行状を「失敗」であると捉え、それに「学ぶ」ことが流行っているが、そもそも日本軍は本当に「失敗」したのだろうか。「失敗」というからには、誰かがどこかを何かうまくやれれば「成功」したということになるが、あの歴史的悲劇…

終戦の日

高村光雲作・楠木正成像。南朝正統史観の明治期に据えられ、「南朝正統史観なんだそれ?」の今まで在り続ける。馬の鼻の血管がすごい。そういえば皇居には和気清麻呂像もどこかに立っているはずだが、なぜこの人が天皇家の忠臣とされているのかちゃんと説明…

レオナルド×ミケランジェロ展(三菱一号館美術館)

レオナルド×ミケランジェロ展にいく。会場は東京駅から徒歩十分ほどにある「三菱一号美術館」という建物で、あとで知ったところによると、この建物は明治初期に築造され、昭和四十年代に老朽化を理由に一壊されたあと、さらに四十年後に当時の設計図をもとに…

てるてる坊主

「先生、夫婦円満の秘訣ってなんですか」 「円満な夫婦関係を結べそうな人と結婚すればいいんです」 「ああ、先生の奥様のような女性ですね。そういう人と出会うにはどうしたらいいんですか」 「出会う方法はありません。単なる偶然です」 「つまり・・つづ…

ミもフタもない欲望 〜いわゆる加計問題について

安倍晋三氏が、加計氏に獣医学部設立の便宜をはかった理由は、「頼まれたから」というのが本音のところなのだろう。安倍氏は加計学園からおそらくなんの賄賂も受け取っていないし、いくらなんでも、そういうものを受け取るほど現日本国首相は馬鹿ではない、…