それぞれが棲む「煉獄」

 今を時めく5人の「指導者」、トランプ・安倍晋三金正恩プーチン習近平のうち、従来の国際政治学的分析の対象になりうるのは、かろうじてプーチンぐらいではなかろうか。

そのほかは自己保存第一に我儘放題、手当たり次第にデタラメをしているだけで、あらゆる賢しらな分析や予測はものの役に立たない。ストライクをまるで投げられないノーコン投手の配球を読んでもまるで意味がないのと同じである。

こんな時代はかつてあったのだろうか。そんな時代ばっかりだったような気もするし、空前のような気もする。

北朝鮮は古代的な世襲王朝だから権力者がやりたい放題やるのは当然といえば当然の姿だ。政治体制的には共産主義である中国や、帝政ロシアソ連の気配が残っているロシアも、独裁の温床があることもわかる。しかし、民主主義の盟主であるアメリカや、それにつき従っている日本において今のような傍若無人な政権が出現した現象は、どう解釈すればいいのだろうか。

一人の人間が気の向くままに強権をふるう独裁と、みんなで仲良く話し合い多数決で物事を決める民主主義は、対義語のように観られることが多いが、逆のように見えるのは、じつは見かけだけだ。

民主主義とは権力者を選ぶ仕組みのひとつに過ぎず、そのしくみが独裁者あるいはその素養を多分持つものを選出したところで、本来、なんの矛盾も無理もない。ナチスドイツの例を観るまでもなく、民主主義の中には独裁主義が萌芽する養分が、はじめから含まれている。つまり、あらゆる政治形態は一つの例外もなく、宿命的に独裁を産む可能性を含んでいるのである。

ただ、さすがにアメリカや日本は「文明国」で、法律やものごとが決まる仕組みに権力者の傍若無人なふるまいを諫めるクビキが、そこかしこに仕込まれている。

現在トランプはその罠にはまって、何一つ思い通りに物事が進まない煉獄に頭を抱えている。政権運営の経験が豊かな人材は現政権には初めから寄りつかず、ともに大統領選挙を戦った朋友は気分に任せて放逐してしまった。今、トランプ氏のかたわらに控えているのは、経験もスキルも知恵もない家族と、ひたすらに忠誠を尽くすだけしか能がない下僕だけである。

同族会社ならいざしらず、三十代半ばのアパレルデザイナーの娘と不動産屋の婿のコンビや、ゴルフが趣味のトランプ氏の元キャディだった人物が政権の中枢に座っている奇観は、悲惨を通りこして、滑稽ですらある。

ドナルド・トランプ氏は、就任半年も経たないうちに、さながら組織壊滅の危機に直面しているマフィア、命からがらの体で負けいくさから敗走中の戦国武将の悲哀を味わっている。また、それさえも味わっていないほどの鈍い現状把握力ならば、政治家以前に人間としてもはや救いようがない。

しかしアメリカ大統領は腐っても世界最大の軍事大国・経済大国の最高権力者である。「最高司令官」として、自国の軍事行動においてはかなりの裁量を許されているから、他の政治課題が思い通りにならない分、腹いせも含んで乱暴なことをしでかさないとは限らない。

その持てるポテンシャルが巨大な分、トランプ氏はある意味北朝鮮の指導者より危険である。

現政権が直面している支持率低下の原因は、「加計」「森友」の両疑獄であり、経済政策の失敗露呈の予感などであるが、ミサイルが飛来するたびに支持率が回復するパターンに味をしめ、内外に向けて「ますらおぶり」を気どることが、万難を排す唯一の処方箋であるかのように思いこみ、ミサイル招来につながる言動ばかりしている。いま安倍晋三は、自己保存というきわめて矮小な動機で、全国民を危険なパワーゲームに晒しているのだ。

東條英機は連合国から戦犯指定され、裁判の結果絞首刑になったが、少なくとも彼は安倍晋三のように私心や私欲で、日本の政治や軍事を動かしたことはなかった。

東條は、良くも悪くも、赤心から天皇陛下につかえ、自らの権勢を保持することを政治的な目的にすることはなかった。すべての結果が出つくした後世から観れば、彼はひどく拙い選択と、幼稚なふるまいを連発したことは確かだが、東條のような資質の人間が(司馬遼太郎は東條について「町内会の会長がかろうじてつとまるぐらいの器量」と評しているが、実際そんなものだろう)、あの情勢下で、運命と時勢で分不相応な地位に据えられ、他にどんなふるまいができたが、自分には想像がつかない。

安倍晋三は公邸に寄りつかず(ミサイルが飛んでくる前日は違うらしいが)、今も富ヶ谷の高級マンションに母親と住んでいる。このマンションの敷地には元は安倍晋太郎の私邸があり、夫の死後ここにマンションを建てることを決めたのは晋三の母親で、岸信介の長女でもある洋子だ。

マンションは二棟に分かれており、一棟は外国人向けに賃貸し、三階建ての一棟に、安倍家が住んでいる。一階は晋三の兄で三菱商事の系列会社の社長を務める人物がかつて住んでいたが今は空き家になっており、二階に晋三と妻の昭恵、三階に母の洋子が住んでいるという。

おそらく彼は、未だに母親の支配から逃れることができない、またそこから離れることを恐れている、有り体に言えば、乳離れができない幼稚な人間なのである。

もともと洋子は次男の晋三を「政治家としては線が細い」と見なしており、期待も薄かったといわれる。晋三が2007年に第一次政権を放り出したとき、洋子は晋三の政治家としての資質を見切ったのではなかろうか。

その後、様々な紆余曲折があり(結局は似非リベラルの民主党政権の大崩壊が、これまた似非保守の安倍政権という鬼子を産んだのだが)晋三が政治の中枢に返り咲いた後も、晋三を信用していない洋子は、ことあるごとに息子を「指導」するようになった。

今では洋子の「指導」は政治だけでなく、持病への対応も含む体調管理などの晋三の日常生活全般に及んでいるとも言われる。もっとも、昭恵夫人があの「活発さ」を発揮している限り、同居している母親が息子の面倒を見るより他はないのであるが。

洋子の晋三への政治的指導といえば、最近では、小池百合子都知事になりたての頃、「都議会のドン」と言われた内田茂とバトルを繰り広げていたとき、晋三は大嫌いな小池の敵である内田方に加勢しようとしたが、それを知った洋子は「内田なんかにのってはだめ」と一喝したと言われ思いとどまった、と言われる。

現在でも、自宅内外で食事の席を母親と共にし続ける晋三は、万事において母親の顔色ばかりが気になって、国民がどう自分を観ているかまで気を配る心の余裕がないのかもしれない。

晋三の執念とは、祖父である岸信介の悲願(憲法改正や安保法制)達成というよりも、それを通じて、いつまでも自分を子供扱いし岸信介安倍晋太郎の後継者として一人前だと認めてくれない母・洋子から認証されることにあるのではないだろうか。

安倍(旧姓岸)洋子の宿願は、おそらく、次男晋三の政治家としての成功に止まるものではなく、それを足がかりとして、政治一家・岸家が栄え続けることにある。いきおい、継嗣がいない晋三への期待は限定的で、今や洋子の期待のまなざしは、晋三の実の弟である現衆議院議員岸信夫の息子であり、現在はフジテレビに勤めている岸信千世に注がれている。

そのことを実感すればするほど晋三の焦燥は高まり、無茶無理な政治行動をゴリ押しし洋子の関心を引き戻し、積年の願望である認証を得ようとする。ひょっとすると安倍晋三氏は今、そんな逃れようもない煉獄の中で苦しんでいるのかもしれない。