レオナルド×ミケランジェロ展(三菱一号館美術館)

レオナルド×ミケランジェロ展にいく。

会場は東京駅から徒歩十分ほどにある「三菱一号美術館」という建物で、あとで知ったところによると、この建物は明治初期に築造され、昭和四十年代に老朽化を理由に一壊されたあと、さらに四十年後に当時の設計図をもとに再建築されたものらしい。見た目は明治期の建物そのものだがその実、ほぼ新品の建物である。

いまどき、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロでもあるまいし、デッサンばかり並んでいる地味な展覧会だからすいてるだろうとタカをくくっていたが、あにはからんや、けっこうな混み具合だった。企画展の常として年配者が多かったが、若いカップルや、子供連れも多かった。

自分のことはさておき、そもそも、こういう展覧会に人はいったい何を求めて足を運ぶのだろうか。もし、来館者一人一人にその理由を訊いて回ったとしても、肚に落ちる論理的な答はほぼ得られないだろうし、上手く答える人がいたら、それはそれで不自然な気もする。いうなれば、皆が皆、なんだか自分でもよくわからない磁力に導かれてここに集まってきたのだと思う。

会場の掲示で初めて知ったのだが、中世ヨーロッパで「絵画と彫刻のどちらがすぐれた芸術か」という論争があったらしい。ダ・ヴィンチは「立体のものを平面に写す絵画の方が高度な技だ」という立場だったそうだ。ダ・ヴィンチ自身ほとんど彫刻をしたことがないから絵画びいきになるのも致し方ないが、自分はあらゆる角度から対象を観察してぴったり辻褄を合わせなくてはならない分、彫刻の方が作るのに手間がかかると思っている。「どちらが優れているか」からは脱線しているが。

ただ、こういった答えが出ないことがわかりきっている問いを、しつこく考えてみることが自分はけっこう好きだ。

ダ・ヴィンチは人体描写の礎として解剖学に興味を持っていた。芸術家が作品の精度を高めるために解剖学の助力を乞うことはあり得ても、身体の論理的構造に知的関心を傾ける解剖学者が、作品を物す芸術家に昇華することはほとんどあり得ないと思う。あり得たとしても、その解剖学者はもともと芸術家の魂を秘めていたと言えるだろう(狡い言い方だが)。

ダ・ビンチ自身にこういう言葉がある。「おお、解剖家よ。骨格、腱および筋についてあまりに造詣が深いために、君の裸体画にあらゆる機構の細部まで表現しようとする意図によって、君をば材木屋式の画家たらしめることのないように用心したまえ」

ここで言う「材木」とは、優美さのない単なる筋肉や骨の構造を説明する為の図版のことである。緻密な説明と優美な芸術の境目は難しいが、ダ・ヴィンチにはおそらくその境界線がはっきり見えていたのだろう。

世に、植物学者の手になる植物の細密画がというものがある。写真がない時代の図録として描かれた生き写しのような緻密な描写に接するとき、ある種の芸術的感興に襲われることがある。

こういう作品が成立するプロセスは、まず植物への学問的興味から出発し、次に知的関心が細部への入念な観察に繋がり、結果的に精密な描写が芸術的香気を発するようになる、と一般的にはみられていると思うが、おそらく順番は逆で、まず鋭敏な芸術的感性による精緻な観察があり、描かずにはいられないアーティスティックな欲望があり、最後に知的な学問的興味が喚起され、論理的思考が始まるのである。

これはすぐれた学者にほぼ共通する理法発見のプロセスで、荘子はこの実情を「天地大美有りて言わず、四時明法ありて議せず、聖人は天地の美に基づきて万物の理に達す」と表現した。この言葉の意味は「自然には大きな美があるが、自ら口を開くことはない。自然には確かな法則性があるが、自ら明らかにすることはない。すぐれた人は、自然の美しさを足がかりにして法則性に達する」である。

つまり、聖人は「天地の美に基づいて万物の理に達する」のであって、「天地の理に基づきて万物の美に達する」のではない。このプロセスは一方通行であって、逆走はあり得ない。

ダ・ヴィンチは「この美しい外貌から想像するに、人体の内部構造はおそらくこうではないか」という自らの仮説を立証するために人体を解剖したのであって、そこで確かめた知見は、彼の知的好奇心を満たしこそすれ、かれの絵画作品の芸術性は少しも高めなかったのである。人体解剖の経験が彼に与えた果実は、絵画作品の芸術性の向上よりも、かれのもう一つの資質である科学者としてのポテンシャルを高めたであろう。

この展覧会のテーマの立て方がそうであるように、ダ・ヴィンチミケランジェロは「ルネッサンスの巨匠」として並び称されることが多い。慥かに世界的な著名度では同等レベルだといえるが、資質的に大きな隔たりがあるこの二人が自分の中では並ぶことはない。ダ・ビンチという人は「アーティスト」というよりも知識人でありアイデアマンである。

彼は絵を描くことそのものよりも、自分のアイデアをビジュアル化する武器として自己の知識と知恵と画力を活用するケースが多かったのではないか。おそらく彼は当時、「おそろしく頭が良い男」として知られており、様々な業界のいろいろな方面から相談事を受け、その解決策をその膨大な知識を礎に発想し、そのアイデアを理解しやすく説明する手段として、持てる画力を活用した。

一方のミケランジェロは、徹頭徹尾の芸術家、生涯一画家・彫刻家であって、彼の生涯においては、絵を描くことと彫像をつくること以外見るべき営為はない。(プライベートでは詩を書いていたようだが)彼の芸術家としての地位は世界史上で隔絶し、存在感は屹立している。その作品と質と量は、古今東西、比肩する存在がない。

強いていえば、彫刻ではロダン、絵画では葛飾北斎がそれに並びうるのかもしれないが、それらが一体化した人物は自分の知る限り、彼のほかには見あたらない。

展示会場のそこかしこの壁に、両名が吐いた言葉が書いてある。その中で特に興味深かったのはミケランジェロの、彫刻の心得を説いた以下の言葉である。「大理石を削るごとに作品が大きく見えるように(彫れ)」

大理石のかたまりを削っていけば石の体積はどんどん小さくなるが、作品が与える印象は、逆にどんどん膨らんでいく、よい作品とはそういうものだ、と彼は言っている。彫刻がほどこされる前の大理石は、たんなる直方体の白い物体にすぎない。それに人間が鑿という道具を遣って精神の刻印をすることによって、単なる物体が「意味」や「価値」を持ち始める。

その目を見張るような壮観、作っている自分自身がびっくりするような現象を、ミケランジェロは「大きくなる」と表現したのだが、おそらく彼はこの言葉を比喩として遣ったつもりはなくて、「本当に大きくなっていくように見えた」のだと思う。

こういう心理過程はおそらく、地中に埋まった巨大な恐竜の化石を発掘するプロセスに似ている。深く広く発掘が進み、埋まっている恐竜の全体像がどんどん巨大になっていくときの掘り手の気持ちの高ぶり、この次第に増大していく巨大感はすぐれた彫刻家の作品制作過程での高揚感と符合するのではないか。

この「削るにつれて増える」という不思議な(本当はちっとも不思議ではないのだが)経験を味わうことこそが「彫刻」である、という明確な意識がミケランジェロにあって、逆に粘土や石膏のように骨組みに肉づけをしていく塑像づくりを、彼は「絵画の一種」であると見なしていた。

つまり、冒頭に述べたようにダ・ヴィンチは絵画と彫刻違いを「立体を平面に写す技術と、立体物を立体物に写す技術」の違いだと捉えていたが、ミケランジェロは「つけ加えていくのが絵画で、取り去っていくのが彫刻」という考え方をしているのである。

勝手な意見だが、自分にはダ・ヴィンチの区別は表層的で、ミケランジェロのそれは深層的で、本質的だと思える。さらに言えば、ミケランジェロは絵画と彫刻にダ・ビンチのように優劣をつけていない。それぞれの特性を持つ、並列な芸術技法であると見なしているが、その理由はおそらく以下の通りである。

大理石彫刻は、彫琢において、ためらいやまちがいが許されない一発勝負である。掘りすぎたからといって、削りすぎたからといって、接着剤で大理石の欠片や塵粉を貼りつけることなど許されない。(あくまで例外として行う場合もあるかもしれないが)大理石像制作において、あらゆる彫琢行為には、常に「取り返しがつかない」峻厳さを伴っているのだ。

大理石彫刻において制作者は、明確なイメージのもとに迷い無く、しかも精度の高い鑿を連続して入れ続けることが求められている。では絵画は何度も間違いをしても描き直し、塗り直しが許される緩い制約のもとになされる気楽な手法かというと、おそらくミケランジェロはそう考えてはいなかった。

彼にとって筆のひと刷毛は、鑿の一撃と同じレベルの集中と緊張のもとになされるべきものであった。決して凡百の画家や日曜画家のように「間違えたら消せばいいし、塗り直せばいい」という気楽さのもとになされるものではなかった。だからこそ予行練習としての「修作」を入念に行ったのである。

当然ながら、ミケランジェロにとって「修作」は、デッサンの訓練ではない。(そもそも今更そんなことをする必要がない)修作は本番での再現を目指した予行演習である。演劇で言えば、開幕直前に行う本番なさがらの通し稽古なのである。

展示の最後に、ミケランジェロが途中で制作を放棄し後世の人が完成させたといわれる「十字架を持つキリスト」の大理石像があった。場内撮影可だったがデジカメを持っていなかったのでネット上の画像を拝借し、貼りつけておく。

ミケランジェロがこの像の制作を途中で放棄した理由は、顔を彫っているさいに大理石の黒いすじが出てきたからだといわれており、実際に彫像の顔には、刀傷のような黒い線がはっきりと入っていた。それでも作品としては立派な出来だが、正直なところどこか食い足りないところもある。

あくまで推測だが、ミケランジェロが制作放棄したのはかなり初期の段階ではないだろうか。実はこの作品を放棄したあと、ミケランジェロは一から別の大理石で彫りなおしており、それが以下のものだ。(これもネット上から拝借)

ポーズも撮影した角度も違うので、フェアに比較することが難しいが、後者の方か明確に緻密な観察と表現に基づいていると感ぜられる。もしかすると、前作は、どのタイミングで放棄したにせよ、修作としてきわめて有効な「予行演習」になっていたのではなかろうか。