終戦の日

高村光雲作・楠木正成像。

南朝正統史観の明治期に据えられ、「南朝正統史観なんだそれ?」の今まで在り続ける。馬の鼻の血管がすごい。そういえば皇居には和気清麻呂像もどこかに立っているはずだが、なぜこの人が天皇家の忠臣とされているのかちゃんと説明できる人は珍しいのではないか。

小林秀雄は戦前の講演録の中で「僕は、日本人の書いた歴史のうちで、『神皇正統記』が一番立派な歴史だと考えてゐます」と述べている。これは正当な文芸批評というよりも明確な時流を読んだ発言だが、だからと言って小林に「戦争協力者」という陳腐なレッテルを貼ったところで何も得るものはない。

当時の常識では国家が戦争に負けることは植民地化されるか足腰が経たないほどの多額の賠償金をとられ国家の屋台骨を抜き取られることだったから、聖戦だろうが侵略戦争だろうが、戦争状態になった以上、国民が持てる力を結集することは当然の合意事項だった。

日本の「愚かな戦争」は太平洋戦争から始まったのではない。幕末の薩英戦争・馬関戦争・日清戦争日露戦争第一次世界大戦満州事変・日中戦争と、日本は幕末維新以来、80年間に渡ってほぼ休みなく戦争をし続け、その「総仕上げ」として太平洋戦争は位置づけられる。

日本は幕末維新以来80年間、何を目的に「愚かな戦争」を続けてきたのか。戦いごとに相手は変わり、その勝敗結果も、歴史教科書的位置づけも、国民の好き嫌いも千差万別だが、貫通している目的は、古色蒼然とした言葉を持ち出せば「攘夷」で一貫していると思う。

軍国主義が戦争を起こすのではない。戦争が国家総力戦になった現代では、戦争に勝つためには軍国主義を持ち出すことが必要であって、つまりは「戦争が軍国主義を惹起する」のである。この事情は現代でも同じで、もし今日本がどこかの外国と戦争を始めたら、世相はすぐに軍国主義一色になるだろう。

太平洋戦争の敗北で、日本の80年間にわたる攘夷戦争は、刀折れ、矢尽き、三百万人の犠牲を払って、大失敗に終わった。そして、その帰結として夷狄(西洋文明の代表としての米軍)による占領(進駐)が始まり、今に至っている。

世に1944年6月のマリアナ沖敗戦(太平洋戦争の遂行を可能にする日本の海軍力が壊滅した)の時点で日本は降伏すべきだった的な論があるが、戦争における降伏を、将棋における投了のように、いつでも自由自在にできるように考えるのは大きな間違いだ。

優勢に戦いを進めている側は、終戦後も睨んで、勝利の果実を徹底的に獲ろうとするから、そう簡単には戦いをやめてくれないのである。

もし万難排して戦争終結に持ち込めても占領は避けられなかった。占領を受容れることは「国体」の崩壊を意味していたので容易な選択肢ではなかった。ただこれが首尾よくいけば、数十万、百万単位の人命が救われたことは確かである。

明治維新の目的が攘夷への国力醸成であり、その手段として「富国」と「強兵」を車の両輪にして驀進してきた日本が、過去の歴史プロセスのどのタイミングで方向転換や急ストップするべきだったかなど誰にも分らないし、もし皆が納得するタイミングを見つけたとしてもしょせんは後知恵でしかない。

「この大戦争は一部の人たちの無智と野心とから起こったか、それさえなければ起こらなかったか。どうも僕にはそんなおめでたい歴史観はもてないよ。僕は歴史の必然というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省などしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」小林秀雄

戦後の学生運動は、通常は反米親ソの左翼運動のように理解されているが、内田樹氏によると、これは幻になった「本土決戦」の実現であり「武器」であるゲバ棒は「竹槍」のオマージュなのだそうだ。自分は世代が違うこともあり学生運動の本質がどうしても理解できなかったのだが、この説明は腑に落ちた。

観方によっては、維新から始まる攘夷ムーブメンは、敗戦を経て今だ継続しているともいえる。沖縄における基地闘争は、それの一つの顕れであろう。これが継続することが未来の日本に何をもたらすのかわからないが、このまま攘夷の本心を押し殺したまま対米追従することの是非について真剣に考える契機を、今の米政権ははからずも与えてくれている。