ミもフタもない欲望 〜いわゆる加計問題について

 安倍晋三氏が、加計氏に獣医学部設立の便宜をはかった理由は、「頼まれたから」というのが本音のところなのだろう。安倍氏加計学園からおそらくなんの賄賂も受け取っていないし、いくらなんでも、そういうものを受け取るほど現日本国首相は馬鹿ではない、と思いたい。いうなれば、晋三は純粋に「友情」で孝太郎の要望に応えたのだ。

人間の本音など、実はたいしたものではない。心の底の本音なんてものは、ミもフタもない欲望でしかない。安倍氏は加計氏の請願に応えることによって自己の権力の巨大さを誇示しつつ、睥睨の愉悦を味わいたかったのだろう。

安倍夫人の昭恵氏や、前文科相下村博文の今日子夫人は、加計孝太郎氏のガイドで何度も海外旅行にで出かけているが、彼女たちがそういった旅行に嬉々として出かけていったのも、「発注権者による下請け業者へのタカリ」的な見方よりも、そういった権勢を誇る伴侶を持つに至った、あるいはそこまで伴侶を出世させ得た、女性としての自分の「成功」を、レジャーというご褒美を享受することで存分に味わい尽くしたかったがゆえだと思う。

安倍氏岡山理大獣医学部の認可に「ひと肌脱いだ」動機は、表向きは「岩盤規制の打破」であり、認可の対象は加計でも京産大でもよかった、ということになっている。

たしかに獣医学部が50年間も設立されていないというのは「異常」な景色ではあるし、畜産族政治家と農林省などの官僚組織と日本獣医師会という利権の構造にメスを入れるのはそれなりの意義があることだ。

だが、2007年以来、加計サイドが申請してきた構造改革特区制度を利用したルートではなく、首相が恣意的になんとでもできる制度上の不備がてんこ盛りの国家戦略特区という「裏口ルート」を使っての認可は、そもそも「岩盤規制の打破」を目的になされたものではなく、それは「三十年来の腹心の友」が経営する加計学園に利益誘導するための「手段」として利用されたところに問題がある。

加計孝太郎氏が経営する学校法人「加計学園」は、8つの学校で構成されているが、まともに利益を挙げているのは獣医学部が加わる(予定の)岡山理科大学のみで、他の7つの学校は軒並み赤字を垂れ流している。

岡山理大以外は、世間で言う「Fランク」に位置する「受験すれば必ず合格できる大学」で、はなはだしい定員割れを起こしてる。

加計学園が存続するためには、中国地方においてそれなりのブランド価値がある理大の拡張によって他校の赤字を補填する路線を進める以外あり得ない。獣医学部新設は孝太郎氏にとって学園存続のキーになる経営戦略であった。

岡山理大が「事業拡張」するにあたり、「獣医学部」にフォーカスした理由も「経営戦略」から説明がつく。岡山理大には動物学科があり、グループの倉敷芸術科学大には動物生命学科があり、同じく千葉科学大には動物危機管理学科があり、その知見により獣医学部の経営が容易であり、相乗効果も期待できる、と考えていた。

また、愛媛県今治市が理大獣医学部を熱心に誘致していた理由は単純に「地方創生」「地域振興」のたぐいだと理解していいだろう。

整理すると

加計孝太郎氏は、経営戦略上「岡山理大獣医学部」の新設が必要だった。今治市は地域振興から大学誘致が必要だった。この両者の思惑が一致して、加計学園文科省に設立の認可申請を十年来し続けていたのだが、文科省は「必要がない」「閣議決定した新設を認可する四原則」をクリアしていない、と首を縦に振らなかった。

業を煮やした孝太郎氏は、三十年来の友人(孝太郎と晋三は親戚という説もある)である首相・安倍晋三に泣きついた。安倍晋三はそれを受けて、麾下の官僚を通して文科省に圧力をかけた。

ここでいう「安倍麾下の官僚」は、経産省財務省といったラインのそれではなく、総理秘書官や内閣府などに属するスタッフ職の官僚である。彼らは「官邸の最高レベルが言っている」「早期の開学は総理のご意向だと聞いている」「首相がいえないから自分が代わりに言う」といった話法で、時の文科事務次官・前川氏に圧力をかけた。

これら一連の圧力は2016年の9月から10月にかけて行われたが、依然として前川氏は首を縦に振らなかったので、政権は首相が強い決定権を持つ「国家戦略特区」という裏技を使うことにし、2016年11月9日に、「広域的に存在しない」という、加計学園を残し京都産業大学を排除する条件をつけて、新設する方針を決定した。

さらに、2017年1月20日に、加計学園による今治市での獣医学部設立が認定された。なお、同日、前川氏が文科省事務次官をいわゆる「天下りあっせん問題」の責任をとるかたちで辞任している。

なお、加計学園獣医学部の建設工事は、2016年10月31日から開始している。このタイミングは、まだ「新たな獣医学部を日本に作る」決定はおろか、「京都産業大学の排除」もなされていない時期である。工事はいったん動き出せば、当然ながら工費が発生するので、中途半端な見切りで発進するようなことはあり得ない。学校の設備建設など大規模な工事になれば猶更のことである。この事実だけでも、京産大などハナから政権の眼中にはなく、すべてが「加計ありき」で進んでいたことが判る。

加計問題が、ここまで大きく、広く騒がれるようになったきっかけは例の「文部省内の文書」の存在が、2017年5月17日に報道されてからである。この文書を文部省内の誰がマスコミにリークした人物は明らかになっていないが、客観的状況では前川元次官その人だと推理するのがスムーズだと思う。

なお、前川元次官は、現段階(2017年7月16日)で文書をリークしたのは自分であることを認めていない。先の国会閉会中審査でも誰がリークしたかを明かすことも、自分であることを否定することもなかった。

リークしたのが自分でなければ明確に「自分ではない」と表明すれば済むはずだから、「答えない」ということは自分であることを認めたのと同じことである。この点、前川氏にも自作自演の弱みがあるが、この問題の本質は「文書を誰がリークしたか」ではなく、その「内容」にある。

そして、前川氏がこの文書をリークした動機は明白である。それは表向きに述べているような「行政がゆがめられたから」というような建前ではない。

前川氏が事実を暴露した真の理由は、学校や学部設立の許認可という文科相既得権益をないがしろにされたことによって、官僚としてのプライドを踏みにじられ、さらに(天下りあっせんという名目で)組織から放逐されたという安倍政権への「恨み」からだ。つまり彼の中にある大量の感情のマグマが、文書のリークという形で噴出したのである。

この文章の冒頭に述べたように、

「人間の本音など、実はたいしたものではない。心の底の本音なんてものは、ミもフタもない欲望でしかない」のである。

この本音と建前の乖離は、安倍晋三側における、「建前=岩盤規制の打破、本音=友人への利益誘導」と対照させることができるだろう。

前川元次官は、マスコミが同文書に関する報道を受けて菅官房長官が「怪文書のたぐいだ」との言で葬り去ろうとすることに危機を覚え、自らその文書の信憑を週刊誌でのインタビュー記事と記者会見で説明した。

そして官邸側はその対抗措置として採用したのが前川氏への一連の「個人攻撃」(次官の地位に恋々としていた、出会い系バーに通っていた等)である。

官邸(つまり菅長官)は、前川氏の人間としての品位を貶めることによって、発言の信憑を毀損しようというやり方を採用したのであるが、こういった正面を迂回した、搦め手を突くような、なりふり構わぬやり方をすること自体、官邸側に相当な「やましさ」と「追い込まれ感」があることを白状しているようなものである。

今後、安倍首相は自らこの問題について、公の場で「丁寧な説明」をするらしい。かといって「シンゾーくんとコーちゃんの熱い友情物語」について微に入り細にわたり吐露するということではなく、結局は「我はいかにして岩盤規制を打破したか」について、基本的に支離滅裂、時に激高しながら、しばしばシドロモドロになりながら語るだけになるだろう。

なお、この加計問題は、日本獣医師問題議連会長であり、獣医学部新設反対の立場に立つ麻生太郎副総理と、安倍晋三氏の権力闘争の側面もあるが、この視点はあまり面白味がないので割愛する。