揺れない炎

「先生は死後の世界を信じていますか」

 検査の最中、その末期ガンの男性患者は、医師にとってもっとも答えにくい質問をいきなり投げかけてきた。

若い頃は、そんなものがあるとはチラリとも思わなかった。もっとも、今でも思っているわけではない。しかし、若い頃のようにとりつく島もなく否定する気もちは薄れていた。

医師として何度も臨終に立ち会う経験を重ねる中で、だんだんそいういう世界がどこかに在ってもおかしくはないと、いつの間にか思い始めていたのだ。

とはいえ、「在る」といっても元素記号で表示できるような物質的な実在ではない。そういう物質的現実から隔絶したところだったら、それは在ってもおかしくないような気がしてきたのである。この心の変化に気づいたときわたしは少なからず驚いた。彼の突然の質問は、そのときの驚きをわたしに思い出させた。

「無いとはいえない程度ですが、信じる気持ちは確かにあります」
 わたしが言うと、その患者は「先生、私は死後の世界はあると思うんですよ。そうだ、私が死んだら死後の世界から先生にメッセージを送りますよ」といった。

 この患者にとっての死後の世界とは、わたしの見解とは異なり現実世界に物理的影響を及ぼしうるような物質的実在を意味するらしかった。すでに述べたように、わたしはそれは否定する立場だが、ここで気張っても仕方がないので反論はしなかった。その代わりに「本当ですか。どんなメッセージを送ってくれるんですか」と言った。

「もし風のない場所で、ろうそくやライターの炎が揺れたら私のしわざだと思ってください」
 彼はそういって笑った。しかしその眸には祈念するようなひどく真面目な光があった。

 一ヶ月後、かれは亡くなった。生涯独身で身よりもなかった彼は、遺言どおり郊外にある大きな寺の無縁塔に葬られた。

 わたしはというと、それ以降タバコを吸うたびにライターの炎を見つめる癖がついていた。「ばかなことを」と思う反面「もしや」と期待する気持ちがあったからだ。

 ある日、遅い夕食を出前ですませ、喫煙所でタバコに火を点けた。いつものようにライターの炎をそのまましばらく眺めていたが、やはり揺れることはなかった。わたしは炎を消し、煙を吸い込み吐き出した瞬間に、あることに気がついた。ライターの炎を眺めるたびに、わたしの脳裏には彼の顔が浮かび、耳には彼の声が聞こえている、ということを。

 彼のほんとうのメッセージは、「自分のことをいつまでも忘れないでくれ」という願いだったのだろうか。もしそうならば、その願いはこれからも叶えられつづけることだろう。もはやわたしは、ライターを点けるたびに、炎をながめ、彼を思い出さずにはいらないないのだから。(創作)