ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」

迂闊な目には、色、形ともに、単純な部品の構成体のように見える作品だが、繊細な表現を要す箇所がたくさんあり、この作品の模写に挑む人のおそらくほとんどが、至るところで敗北感を味わいながら、描き進めざるを得なくなる、そんな作品である。

このスケッチも御多分に漏れないが、特、向かって左側の頬が、実物のような絶妙のラインでどうしても描けない。

ゴルフの名手や野球の強打者は、打球の描く放物線に品がある、という話をどこかで読んだことがある。そして、この作品のラインにも、同じことが言いたくなる。

なお、この気品のある線は、フェルメールが自分の意思でコントロールしたものではない。おそらく彼自身が、自分の手から生まれる、色や形の余りの絶妙さに、一番驚いているのである。