青木繁「海の幸」

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模写をするといろいろなことが判る。

自分が気が付いたことは二つある。ひとつは、三つの魚のうち、真ん中と右の二つはサメであることで、もうひとつは、一見ラフな筆致で描かれているが、実は驚くべき緻密さがあり、つまり細部がまったくゆるがせにされていないことである。

作者は、おそらくこの絵を初めの構想ではもっと描き込むつもりでいたのだろう。しかし、この段階まで描いたところで、これ以上描いても絵の価値はちっともあがらないどころか、却って下がる危惧を感じ、この時点で「完成」の判断をしたのだろう。

筆をおくタイミングを見極めるのは難しい。特に、色に色を塗り重ね、修正に修正を繰り返し、際限なく細部を描き込むことができる油彩画ではなおさらであり、そのタイミングを知るのは作者のみである。

レオナルド・ダヴィンチは、「モナ・リザ」を生涯手元に置き、ひたすら手を入れ続けたらしいが、それは彼の中で、手を入れれば入れるほど絵がよくなっていく確かな直覚があったからだ。作業をどこで打ち切るかの判断は、作者の特権である。職人と芸術家の境目は、おそらくそこにあるのだろうし、もしかするとそこにしかないのかもしれない。