2018_07_01 諏訪神社

 この絵を描いていた一時間ほどのあいだに、本殿に向かって拝んでいる人を何人か見たが、神道の礼拝の作法である「二礼二拍手一礼」をしている人は皆無だった。この作法ができたのは終戦直後らしいから、七十年ぐらいの歴史はあることはあるのだが、実際のところ、あまり浸透していないように思う。

神仏に対しては「偶像に対峙し目をつぶって気の済むまで黙る」というのが、日本人だけでなく、おそらく人間の万古不易の生理構造に適っているいるのではないか、そんな気がする。

日本人の神仏信仰は「現世利益」にフォーカスしているというシンプルさがあるが、日曜の昼下がりに神社の本殿に向かって礼拝する人びとの心持ちはさらにカジュアルなもので、何かトクをしたいというよりも、「やらないと落ち着かないし、やれば落ち着く」という程度のものだろう。

旧日本軍の兵隊には、視界に入った上官に対してそのたびに敬礼をする義務があり、それを怠れば「欠礼」になり通常「鉄拳五発」の制裁を受けた、とある軍記で読んだことがある。

いまどき「諏訪大明神」の前を素通りしても何の鉄槌も降りまいが、この神社に親しんでいる方たちにとっては、神前を素通りするのは単純に「気持ちが悪い」ものなのだろうし、「欠礼」の翌日に何かよからぬことでも起きれば「ひょっとして、昨日神様をスルーしたから??」と、関連づける思考回路ができあがっている人もいるかもしれない。

人間がつくった建造物は、仔細に観察していると、樹木や川とは異なる様々な気づきがある。神社仏閣ではその屋根が描くカーブの絶妙さに惹かれる。あの幾何学的曲線にも似た説得力豊かな勾配は、西洋の建築はもとより、本家の中国の建築にも観られないもので、おそらく日本建築独自のものだ。

あの勾配が日本全国に広まるには、まず作り手である大工や設計者がその美しさに魅了され、次に「なんとかしてあれを自分の手で再現したい」と芯から望むことが必要だろう。

伝統とは美しさへの「憧れ」の系譜でもある。技術や技能に対する憧憬や敬慕が失われたときが、即ち伝統が途切れる時だ。あの勾配の美しさを味わう感受性が次世代にある限り、無事に伝統は継承される。