ボクたちはみんな大人になれなかった 作・燃え殻

 タイトルは、本を手に取らせる一番大きな要因だそうだが、個人的には、これほど秀逸なタイトルには、久しくお目にかかったことがない。

「ボクたちはみんな大人になれなかった」というフレーズは、聴いた人に、共感も反発も喚起する、幅と深みがあるいい言葉だ。

「いや、責任ある仕事をして、女房子供を養っている俺は間違いなく大人だ。お前と一緒にするな」と言う人がいても、「なぜ責任がある仕事をして、女房子供を養っているから大人といえるのか」と重ねて問われれば、答えるすべはない。

世の中で、「大人」ほど定義がしづらく、それにも関わらずそれぞれが勝手な意味を貼付けて疑わない言葉はないだろう。

おそらく「大人」とは、歴史小説のタイトルではないが「坂の上の雲」のようなもので、坂の下から見上げている分には、わりとクッキリした輪郭で見ることができるが、坂を上ってその中に入ると、たちまちその姿は霧散して、実体がなくなるものだ。

逆に言えば、大人という言葉の意味がよくわからなくなった人のことを大人というのかもしれない。

犬は人間のイメージをはっきり持っている。しかし人間自身は、「人間とは何か」なんてことを考えていたりする。

小学生は授業参観にきた親たちを自席から眺めて、まごうことなき「大人」たちがいると思う。しかし当の「大人」たちは、それぞれが未熟で厄介な自己を抱え、苦悩したり、怯えていたり、脳天気だったりして、うかうかとその日ぐらいしをしている、その実、まさに「大人になれなかった」人たちばかりなのである。

この小説は、タイトルのみならず、中身も噂に違わぬ傑作だ。次作のハードルを途方もなく上げてしまったといわざるをえないぐらいの傑作である。しかし職業作家として細々と世過ぎするのと、畢生の名作を一点だけ後世に遺すのと、どちらが価値ある人生かは容易に答えが出ない問題である。

このすべてを出し尽くしてしまったような作品のあとに、がらりと視点を変えた同じレベルの作品をものすることができたら、この人の今後の「作家生命」は保証されたと言ってもいいと思う。もちろん、この人に小説家になりたいという希望があればの話だが。