喪失と再生 〜ミシュカの森2017 (上)

 

 慶應義塾大学で開催された「ミシュカの森2017 子どもの命の傍らで」という講演会を聴きに行く。

「ミシュカの森」を主宰しているのは、2000年に起きた世田谷一家殺害事件で亡くなった主婦の姉で、文筆家の入江杏さんである。

入江さんは、遺族を失い、心に悲しみを抱えた人たちが、「悲しんでもいいんだ」と思える場所づくりを目指して、事件が起きた12月に毎年「ミシュカの森」という集いを開催しており、今年で11回目だそうだ。

事件や事故、あるいは病気で亡くなった人の遺族が、亡き人を想って「悲しむ」のはごく自然で、当たり前の行為なのにもかかわらず、「悲しんでもいいんだ」とわざわざ確認するのは不思議であるが、「悲しみに沈む」という心の状態はごく私的なものであり、それに事後も延々と浸り続ける姿を世間の目に晒し続けるのは、社会人として如何なものか、という同調圧力が在るのは、自分もなんとなく感じるところである。

特に、暴力的な事件の被害に遭った結果亡くなった被害者の遺族が、その事実を隠そうと思ってしまうのは、ことの是非を抜きにして、心理状態としては無理からぬことのようにも思える。なぜなら、日本には「被害者差別」という忌むべき精神的な温床が、いまだに存在しているからだ。

「被害者差別」でもっとも広く知られているケースは、原爆の「被爆者差別」であろう。本来ならば、被爆者は、国挙げて、世の中を挙げて、同情され、物心両面において、あらゆる支援を受けてしかるべき人たちだが、実体は逆さまで、かの人々は、「放射能を浴びた穢(けが)れた人たち」とみなされ、子どもなら苛めにあったり、大人ならば就職差別などの過酷な試練を受けたのである。

では、なぜそのような理不尽きわまりない「被害者差別」というものが、いまだに現存しているのだろうか。いろいろ理屈はつくのだろうが、個人的には、日本古来の「穢れ」を忌む精神土壌に理由があるような気がしている。「穢れ」とは、ある人が道を歩いていて、突然頭からペンキをかけられて全身が真っ赤になったときの、その「赤」のようなものだ。

ペンキをかけられたこと自体、本来、歩行者側には何の落ち度もない。しかし、歩行者の全身がまっ赤に染まった「異様な」外貌は、それを見る人々に激しい違和感をもよおし、その違和感は差別行為として顕在化する。この現象には、何の道徳観も、価値判断も介在しない。単なる生理的な反応である。ただ、単に「尋常の姿ではない」という「違和感」だけで、人間は他人を冷酷に区分けする。

「穢れ」という言葉は、もとは「気枯れ」から来ているとも言われている。「気枯れ」とは読んで字のごとく、内面の気力が枯れることで、つまり心が酷く落ち込むことを意味する。(今風に言えば、「心が折れる」とか「へこむ」とかに、いくらか近いニュアンスかもしれない)

犯罪被害者の遺族がその途轍もなく深い喪失感によって、「気枯れ」するのは無理からぬことだが、そのこと自体が遺族にとって「負い目」になり、世間には得体のしれない優越感を持たせるという作用がある。

この理不尽極まりない「負い目」によって、入江さんとその妹(被害者)の母上は、娘とその家族が殺人事件に巻き込まれたことを「恥」だとして「決して世間に知られてはならない」と入江さんに言い聞かせた。母上は、その深い喪失感を心の中に閉じ込めつづけ、晩年に失明したのは、幾分はそのせいだと入江さんは思っている。

このように、犯罪被害者の遺族は、事件による家族喪失の苦しみと、それを「恥じ」必死に隠す精神的負担の、二重の苦しみに呪縛されることが、しばしば起きているのである。

しかし、入江さんは、母上を含む通常の犯罪被害者遺族とは、別の道を切り開いた。自分が理解したところによると、そのきっかけになったことは二つある。

一つ目は、入江さんが夫君からかけられた「『れば』『たら』と過去のことばかりを考えていたら、今を生きられない」という言葉と、「スーホーの白い馬」というモンゴルの民話を下敷きにした絵本である。

この話は、スーホーという少年がかわいがっていた白い馬が、ある理不尽ないきさつで殺されるが、ある晩、その馬が夢に出てきて、自分の死体を使って楽器を作るようにスーホに言い残す。そうして出来たのがモリンホール(馬頭琴)という遊牧民の楽器である、という話だ。

「スーホーの白い馬」の喪失と再生の物語は、ヨハネによる福音書にある「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」の一節と通底するものがあると思う。つまり、何かが致命的に喪失することの反作用で、新たな価値が生まれる、ネガティブな経験もポジティブなエネルギーに変換できるという、意味において。

しかし、この劇的な心理転換は、文章で書くほどたやすいことではない。その心境に至るまで、入江さんは数年かかったが、普通ならば数十年たっても一向に転換などしないだろうし、そもそも入江さん自身、すっかり転換できたような手ごたえも、実はあまりないのではないか、とも思う。(つづく)