ハイデガーと庄野潤三

哲学者の木田元は、満州に生まれ、海軍兵学校終戦を迎え、戦後は闇米屋をしていた。そういった前半生の乱脈ぶりから、東北大学入学から始まる後半生の学究人生への転換は一見奇矯な印象も受けるが、乱脈的実生活から生じた普遍性的思想への希求という文脈で読めば、これほど明快で鮮やかな転身もない。

実生活の本質は、どんな平和な時代でも一見どんな平穏に見えても、「乱脈」にある。個々人は、多かれ少なかれ、自分が日々直面している乱脈性、すなわち、不連続性、不規則性、波乱万丈性に心身をすり減らして生活しているのだが、哲学という普遍性への希求は、そういった人間のナマの実生活の本質が変わらない限り、一種の慰安の装置として、どんな細々とした命脈になろうとも、活きつづけるのであろう。

また、戦争と戦後を生き抜いた木田のドイツ哲学への傾倒は、終戦直後の西田哲学への大衆の熱狂的な支持と軌を一にする、ということもできよう。

洋画家の入江観という人がいる。この人の書いたものによると、彼は小説家の庄野潤三のファンで、ほとんど全ての作品に接してきたというが、その理由はをこう述べている。

「乱脈をきわめた生活を送る中で、庄野さんの文章に、唯、気持ちを重ねることによって、人間生活本来のリズムを取り戻し、たとえ取り戻すことができないまでも、そのありかを示してくれる物差しをを得ることができた」と。

自分は庄野文学についても不案内だが、入江氏によると、「何の変哲もない日常を自然を丁寧に描写することを旨とし、その日常が移ろいやすいことを承知の上で、平明な日常への揺るがぬ信頼がある。それが大切なのだと言わずに、大切にしていることが伝わってくる」作風なのだと言う。

「治にいて乱を忘れず。乱にいて治を忘れず」という言葉がある。両方とも人間の心構えとして非常に難しいものだが、どちらがより難しいかと言えば、自分は後者だと考える。現実に巻き起こっている乱脈の暴風雨にさらされながら、小春日和で温まった縁側をイメージし、そのイメージこそが現実の正しい姿であり、人生の正しい有り方なのだと確信しつづけることは、とても、とても難しいのだ。

木田が生涯のテーマにしたハイデガーと、入江が好む庄野潤三とは、著作者としては比較するのも愚かなほど似ても似つかない作風だろうが、乱脈の渦中で消耗していく人間たちを、豊穣な普遍性や日常性の提示によって救済するという究極の目的においては、通暁するものがあるような気がする。

そして、哲学と文学の最終的な存在価値は、まさにそこにしかないようにも思える。