くみとり便所の思い出

かなり以前の話になるが、北朝鮮政府が国民に対して一人当たり年間2トンの糞尿を国家に拠出するように義務づけているという報道を見聞きした覚えがある。

糞尿は言うまでもなく田畑の肥やしにするためである。肥溜めがそこかしこにあったかつての日本の里山の風景を思い出させるような牧歌的なニュースは、かの強圧国家のイメージを幾分やわらげる感もあるが、ネットで裏話として流れた凄惨な糞尿争奪合戦の実態によると、やっぱりそんな生易しいものではなかったようだ。

しかし、自分がこの記事を読んで連想したのは、じつは全然別のことである。小学生の頃、夏休みに、栃木県にある母の実家に泊まりに行くのが恒例で、毎年それが楽しみでもあったのだが、その家には、一箇所だけ足を踏み入れたくない場所があった。

それは大便用のトイレである。当時その家家はくみとり式で、大便をするときは、真っ暗な穴をまたいで用をたさなくてはならないのだが、当時の自分には、その真っ暗な穴がとても怖かった。自分がその中に落ちてしまうイメージ、あるいは穴の中から何かが出てくるイメージから、どうしても逃れられなかったからである。

一泊ならなんとか用を足さずに帰ってこれることもあったが、二泊以上すると、それでは済まない。そういうときは、恐れおののきながら、なんとか用を足す。

真っ暗な穴をなるべく見ないようにしながら用を足し、箱の中に重なっておさまっているちり紙でお尻をふく。ふいたちり紙も、真っ暗な穴に落とす。あとは、自分が穴に落ちないように慎重にトイレから離れ、パンツとズボンをはき、一目散に外に出る。

外に出た後の爽快感ったらなかった。あの爽快感は、せまりくる恐怖を意志の力で克服した勇者のみが味わえる一種の達成感だったのではないか。

しかし、世の中にはすごい人がいるものだ。それはこの家のあるじである母方の祖父で、この人が大便をひねりながら新聞を読んでいるという事実を知ったときには心底驚いた。同時に、怖さを克服するどころか、そもそも怖さを感じていないというところに、自分には到底及びもつかない人格の高さを見出し、子どもごころに感じいった。

 この祖父は、かつて多くの日本の家父長がそうであったように、家族と一緒に食事をとらない。この祖父にとって内孫であるイトコと一緒に二階に昇ると、この人は、シラガの胸毛だらけの逞しい上半身丸出しで、ビールを飲みながらプロ野球を見てるのが常だった。

 この姿にも、自分は圧倒された。上半身裸、胸毛、ビール、プロ野球、といった目に入るものすべてが、大人の世界を象徴するもののように思え、その世界に君臨している姿がとても輝いてみえたのだ。

 かくして自分の祖父への尊敬の念は、夏休みを重ねるごとにますます揺るぎの無いものになっていたのだが、当の祖父にとっては、まさか、うんちしながら新聞を読んだり、ビールを飲みながらプロ野球を見ているうちに、孫がみずからへの尊敬の念を深めていった、とは思いもよらないに違いない。

 祖父は一種の地方名士で、地域社会での人望も高かったようだが、そういう側面などまったく関係なく、自分は自分の勝手な角度から祖父を評価し、尊敬の念を抱いていたのである。

 祖父が亡くなって二十年以上経つが、いまだに、その角度から得た尊敬の念が消えていない。その間に、母の実家は建てかえられ、便所は水洗になったらしいが、もはや泊りがけで訪れることがなくなったこともあり、そこで用をたしたことはまだ無い。