制服

 この曲は、「赤いスイートピー」のB面として世に出たもので、松田聖子の並みいる大ヒット曲の陰に隠れた地味な存在ではあるが、根強い愛好者がいる(と聞いたことがある)。なにせ、松本隆作詞・松任谷由実呉田軽穂)作曲だから、出来が悪いはずがない。

高校時代、松田聖子のァンで、さらにこの歌が好きな友人(♂)がいて、何かにつけて歌っているのを聞かされているうちに、だいたいのメロディと、部分的な歌詞を覚えたのだが、あるとき本家本元を聞いてみてあまりの印象の違いに愕然としたのも、今ではよい思い出である。この歌のなかのハイライトは、なんといっても

失うときはじめてまぶしかったときを知るの

という部分だが、まことに青春のただ中にいる若人たちは、自分の輝きに無頓着なのは痛ましいほどだ。

しかし、「俺は今青春のただ中にいて、輝いているんだな」などとむんむんに自覚している若者もどうかと思う。こういう出過ぎた自己客観視あるいは心理操作は、不自然で、逆にジジむさくもある。

「青春の輝き」などという陳腐な若者賛歌などどこ吹く風、そのありあまるエネルギーをなんら生産的な価値にもつなげずに無駄に放出し、華と散り、あとは野となれ山となれ、でも何とかなるっしょ、というのが正しい青春のあり方のような気もする。

そういう無駄遣いと無頓着にこそ、本物の青春の輝きがあるようにも思う。逆説めいた書き方になるが、青春の輝きを自覚しないところにこそ青春の輝きはあるのだ。

一般的にいって、若者には、自分の今の若さが永遠に続くような根拠のない思い込みがある。これはかつて若者だった自分にも骨身にしみている感覚である。自分自身、「若さって永遠じゃないのね」という紛うことなき真実が本当に腹に入るように了解したのは、恥ずかしながら、つい最近のことなのである。

この分だと、自分が死ぬまで自分も御多分に漏れず死ぬことを理解できないんじゃないか、とも思われる。でもおそらく、それが人間というものなんだな。