吉田松陰の「留魂録」

吉田松陰は二十九歳で世を去ったが、当時も今も29年間という時間の物理的な長さは同じはずで、その中で人間が達しうる心身の成熟度合いも、かの時代も今の世も、さほどの差は無いのではなかろうか。

幕末が、現代と比較してかなり激しい時代であったことは確かだ。その激しい時代の圧力が、そこで生きる若者たちに一刻も早い成熟を要求した面はあるに違いないが、それも限定的だったと自分は考えている。

学徒出陣や特攻隊で命を散らした若者たちの遺書を読んだり見たりすると、その内容や表現、そしてその筆跡の老成ぶりに驚く。

しかしその老成は、総じて時代の要請や圧力に若者らしい生真面目さで応えた無理筋の促成栽培かもしれない。

松陰や学徒兵らは、老成していたのではなく、老成を演じていたのだ、かれらは「時代」が自分に割り振った配役を懸命にこなしていたのだ。

人間は皆、何者かに割り振られた役柄を、ひたすら演じることを宿命づけられているのかもしれない。人生とは、その芝居舞台だ。振られた役を型どおりなぞらえようとする人がいれば、何とか自分流にアレンジしようともがく人もいるだろう。しかし、役柄が外から与えられている段においては同じだ。

松陰には、処刑直前まで書きづづけた「留魂録」という長文の遺書がある。その文章から立ちのぼるのは、死にたくない、まだまだ生きてやりたいことがあるという青年の叫びだ。けっして、聖賢の書に通じた偉人の達観ではない。

最終的に松陰は、その激しい葛藤に自前の「物語」で決着をつける。これが有名な「人生四季」説だ。

松陰は留魂録の中で「どんなに短い人生にも四時(しいじ=四季)がある」と説く。

十歳の死には十年の中に、八十歳の死には八十年の中に、それぞれ春夏秋冬がある。つまり、今終わろうとしている自分の人生にも、種まきの春と、成長の夏と、収穫の秋と、それを貯蔵し消費する冬があるはずだ、とかれは観る。あるいは気づく。あるいは自らに言い聞かせる。

これを書いている時、かれの頭の中ではきっと、「自分の人生にとって、春はあの時期で、夏はあの頃で、秋はあの時分で、そして今が冬なんだな」という思いが巡っていたことだろう。

吉田松陰にとっての「夏」はおそらく、松下村塾で弟子たちと過ごした時期だ。自分を、師とも兄とも慕ってくれる若者や少年や子供たちと、一緒に成長していった日々がかれにとっての朱夏だった。

愉しくも幸福な日々。かれは弟子たちの輝くような笑顔や、真剣なまなざしを一つ一つ思い出しながら、それぞれに語りかけるように文章をつづる。

留魂録」は松陰の死後、数部複写され、弟子たちの間で回し読みされたという。弟子たちは、この「春夏秋冬」のくだりを、涙なくしては読めなかったろう。松陰が弟子たちの顔を思い出しながら文章を綴ったように、それを読む弟子たちの脳裏には、かつての師の姿がまざまざと甦っていたことだろう。

ひとりひとりの人生は無常だが、人間どうしの心の深いつながりが齎す悦びは常なるものだ。吉田松陰の生が時代を超えて人々を捉え続けるのは、この常なるものの輝きではないか。

留魂録は、いくつかの辞世の歌の列記でしめくくられる。その中に「呼びだしの声まつ外ほかに今の世に待つべき事のなかりけるかな」という一首がある。

これは、断首されるのを待つほかにもう今の世ですることがない、という意味だが、この歌をどう解するべきなのだろう。

弔辞や辞世は、死んでいく人を犬死させないためにある。何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく、観ようによっては何もかも無駄だった一人の人間の生起と奮闘と消滅を、物語の文脈を使って救済するのが、弔辞や辞世の本来の役割だ。

本来はそうあるべき辞世に、このような一首が混じっていることを、どう解釈すればいいのだろうか。

梅原猛は、三十代の少壮学者だった時分に「不安と絶望を説く実存主義哲学では生きられない」と思い、「笑いの哲学」を構想し、笑いを記号で解明する試みに取り組んでいたという。かれは大学の講義の合間に、大阪の角座や中座にノートを持って通い続けたそうだ。

その線で考えると、この辞世は、死に際の松陰の激しい葛藤から生まれた一世一代のユーモアだったとも観ぜられる。

処刑直前の松陰の様子を、当時の首切り役人が讃嘆した言葉が残っており、そこから松陰の「死生観」の練度を持ち上げるむきもあるが、受刑者が刑場で見苦しいふるまいをしないことや、それを褒め称えることは当時の武士にとっては通常の儀礼の範疇であり、そこを殊更につついても何が出てくるわけでもない。

かれは、処刑を目前にして迫りくる不安や絶望という実存に、「物語(人生四季説)」と「笑い(ユーモア)」でも抵抗しようとしたのかもしれない。その首尾は、知る由もないのであるが。

吉田松陰の生涯には、まだまだ伸びなんとする若木が理不尽に切断されて、その木口から鮮血が流れ続けているような景観がある。この「流血」はおそらく現在進行形で、「物語」や「ユーモア」による安易な中和処理を寄せ付けないような、その圧倒的な痛ましさにこそ、松陰の魅力の本質があるようにも観える。