哲学への道

 京都の「哲学の道」を歩く。西田幾多郎田辺元といった京都学派が「好んで歩き」「思索にふけった」ことからこの名前がついたらしい。哲学をなんとなく高尚で有難いものとしかイメージできない人たちがつけたのだろう。無邪気なものである。

哲学を浮世離れした抽象的思考の産物だと思い込んでいる人は多いが、これは誤りで、個人的に感受しているニュアンスを書かせていただければ、哲学とは、人生の具体的な苦しみに直面した人が、自分自身をその苦痛から救済するために、めいめいがそれぞれのやり方で取り組む、その姿勢そのものの謂いであり、その結果として見出すなんらかのセオリーが哲理である。だから物の順序として、「苦しみ」なくして「哲学」も無いということになる。

注意を要するのは、人生の苦悩に直面した人がすべて「哲学」をするわけではないということである。苦悩への対症法には二種類ある。内面に取り込んで消化あるいは昇華する方法と、外側の環境や条件を変える方法だが、多くの人が選択するのが後者であり(実際こちらの方が成功確率が高いだろう)、前者を選択する少数派が哲学的体質(そんなものがあるとすれば)を持つ人々である。

かつてソクラテスは、「妻は良妻であるに越したことはないが、悪妻でも構わない、なぜなら夫が哲学者になれるからだ」という意味のことを述べたらしいが、悪妻を持ったからといってその夫が哲学者になる保証はない。

悪妻を持つことを哲学者たる条件にできる稀有な体質の人がいて、ソクラテスはその条件に当てはまった。なお「悪妻は一生の不作」と言う言葉があるとおり、「悪妻」を持つことによる果てしのない苦悩や苦痛は、ソクラテスが哲学者として開花するために必要不可欠な「具体的な人生の苦しみ」を提供したことだろう。

西田幾多郎を真性の哲学者にした人生の苦しみとはなんだろうか。それは子供の死である。西田は8人の子をなすが、そのうち5人に先立たれ、そのたびに深い悲嘆にくれた。


「今まで愛らしく話したり、歌ったり、遊んだりしていた者が、忽ち消えて壺中の白骨となるというのは、如何なる訳であろうか。もし人生はこれまでのものであるというならば、人生ほどつまらぬものはない、此処には深き意味がなくてはならぬ、人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。死の問題を解決するというのが人生の一大事である、死の事実の前には生は泡沫の如くである、死の問題を解決し得て、始めて真に生の意義を悟ることができる」


西田幾多郎は「哲学の動機は、『驚き』ではなくして深い人生の『悲哀』でなければならない」とも述べている。はっきりしていることは、子供の死なくして、世にいう西田哲学は成立し得なかったということである。西田自身の言葉を借りれば「小生の如き鈍き者は愛子の死といふごとき悲惨の境にあらざれば、真の人間といふものを理解し得ずと考へ候」ということである。

こういう角度から哲学者を論じることは、往々にして、私生活の裏側を覗くたんなる興味本位のゴシップ趣味だとされたり、偉人を凡人の地位に引きずり下ろしてカタルシスを得ているんだろうと勘ぐられがちだが、実生活の切実な裏づけなくして生身の人間が堅牢で深い哲学や思想を持ちうると考えるほど、自分はお目出度い人間ではない。

「何かの風の吹き回しで虚名が広がり、外面には華やかに見えたもののこの十年来家庭の不幸には幾度か耐え難い思いに沈みました。華やかな外面も深い暗い人生の流れの上に渦巻く虚幻の泡にすぎませぬ。いろいろの仕事も自己を慰める手段であったかもしれませぬ」

哲学への道とは苦悩からの自己救済の道程である。もとよりそんな道を歩まず済めばそれに越したことはなく、西田幾多郎にしても俗世での盛名よりも子供の命の方がよほど尊貴であったはずだ。しかし、その苦悩や深ければ深いほど、喪失感が大きければ大きいほど、その哲学も偉大になりえるのも、一つの道理である。