遺された言葉

  もしブッダが現世で永遠の命を得て、いまだに箴言を吐き続けていたら、仏教の教理はここまでの深みを得ることはできなかっただろう。

ブッダが世を去り、永遠に生身の謦咳に接することができなくなったからこそ、その言葉を後世に残すべく仏典結集が始まり、文字として定着し、それを精読した多様な知性の化学反応によって、解釈の華が咲き、仏教は世界宗教になったと言える。

いつでも師がそばにいて教え導いてくれる、それは確かに得難い環境ではあるが、師が失われ遺された言葉が、そのたたずまいの記憶が、弟子たちの向上のよすがになりえる。

弟子たちが自分の死後に噛み締め続ける言葉が吐けたか、「師」の遺産の価値は、そこにかかっているような気がする。

しばしば、「失うこからこそ得るものがある」という意味の言葉を見聞きするが、これもひとつの好例だと思う。