四季のある人生

「年をとるたびに一年が短く感じられるようになっていく」と多くの人が口にするが、その理由は「一年の心理的な長さは、年齢の逆数に比例する」という「ジャネの法則」でひとまずは説明できると思う。

ジャネの法則とは、たとえば5才の子供の1年の長さは一生の5分の1であり、10才では10分の1であり、100才では100分の1であるから、年をとればとるほどその人の生涯全体に占める1年の割合は低くなり、よってウエイトも軽くなるので、速く過ぎるように感ぜられるのだ、という説である。

この「法則」では、「人間の生涯の心理的な長さは、年齢とは関係なく一定である」という考えが前提になっている。つまり、20才だろうが100才だろうが、自らの一生を振り返ったときの心理的な長さは同じだという思考がベースになっている。

同じ人間がそれまでの人生を振り返って、20才の時と100才の時でどう心理的な時間の長さが違うのかなぞ検証のしようもないが、自分はこの考え方には理があると思う。

人間が死ぬときは、もし痛みなどからある程度解放された心理的余裕があればの話だが、多くの人は、何才で死のうが、おそらくこう感じるのではないか。「いろんなことがあったが、過ぎてみれば短かったな」と。

吉田松陰は「留魂録」という遺書の中で、人間は何歳で死のうが四季(青春・朱夏・白秋・玄冬)があるのだ、ということを言っている。松陰は三十才に満たず死んだから、これは自らの無念を塗糊し、慰める方便だったかとも思われるが、棒磁石がどこで折っても両端がN極とS極になるように、こういう見立てにも一定の理はあるような気もする。

たった今自分の人生が終わるとして、自分にとっての「青春・朱夏・白秋・玄冬」は、それぞれどの時期に当るのかを省察してみれば、おそらく、自分がこれまで何を重んじて生きてきたのか、何を悦びとして暮らしてきたのかが、おおよそ判るのではないか、という気がする。