2013-01-01から1年間の記事一覧

パターナリスティックと東京カジノ

法律で禁止されている行為には、加害者と被害者がそろっている場合と、両方いない場合の二通りがある。前者の代表例として傷害や殺人、後者の代表例として、売春や麻薬の売買そして賭博が挙げられる。 後者のように公権力が、父権的立場から「そんなことをや…

鋳型

「人間はなんで死ぬのか」と娘にきかれ、「人間が順番に死なないで、地球上にどんどん溜まっていってしまうと、食べ物がなくなるし住むところもなくなるからだ」と答える。しかしこの回答は、娘の問いに正面から答えたものではない。なぜなら彼女の問いは「…

実体験と想像力

「人間の命の尊さ」に気づくきっかけは、親や先生から教えられたり、宗教の教義から諭されたり、ひとさまざまであろう。 自分の場合、それがちゃんと腹にこたえるように理解できたのは、自分の子供が生まれ、その成長するさまを身近で観察する機会を得てから…

ある自戒

カントは「永遠平和のために」の中で、「国家間は戦争状態が通常で、平和は非常な努力のもとにしか現れない」みたいなことを言っているが、人間関係も恐らく同じで、「仲が悪い」のが常態であり「仲が良い」というのは異常、といって語弊があれば、奇跡的な…

悠仁ちゃん七歳に想う

古来日本には男性を女性より「清潔」だと考える思想があり(実態はおおむね逆なのだが)、多くの古い祭祀が男性のみが参加を許される根拠には、この思想がある。皇位の継承を原則男系男子に限るというセオリーの根拠にも、この思想がある。これを、旧弊であ…

古を稽える

日本では芸事や武道の練習を「稽古」というが、これは「古(いにしえ)を稽える(かんがえる)」という意味だ。つまり日本的(あるいは東洋的)価値観では、まず古いものの完璧性を前提にする。つまり、昔の名人・達人はお手本にすべき存在であり、そこへ一…

あるパラドックス

失恋が原因で自殺した人って、有史以来何人ぐらいいるのだろう。ひょっとすると億単位かもしれない。そのぐらい、恋愛というのは一種命がけの行為だ。「失恋」というのは、最高度に大げさに表現してみると、「自分の全人格が全否定され、この世における存立…

読書

歳をとる利点の一つに、かつて鑑賞したおもしろい作品を、まるで初めてみるような新鮮さで再鑑賞できる、ということがある。ただ、これは情報への感受性と記憶の保存力(この二つは本質的には同じだが)の衰退が大いに関係しているのだから、手放しで喜ぶこ…

「はだしのゲン」とは何者か

当時小学生だった自分のこの漫画に対する興味は、原爆や戦争の悲惨さに神妙になるというより、次々と繰り出される残酷あるいは不潔な刺激的描写と、どんな目にあってもめげない主人公の驚異的な活力だったことを思い出す。 この漫画は週刊少年ジャンプの熾烈…

風立ちぬ

この作品の中に「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもなく美しい夢だ」みたいなセリフがあったが、もし零戦に美しさがあるとすれば、それは「戦争の道具」という機能性と切り離せないものだったのではないだろうか。 国立博物館の「和様の書」展を見、本…

ありふれた話

「子育て」と胸をはって言えるようなことを自分はしていないが、「こんな人間になってほしい」という塑像は、かなり自分の中ではっきりしている。 ひとつは、「自己肯定感のある人間になってほしい」ということ。大人になるにしたがい自分が否定される目にあ…

苦しみと悦び

お釈迦様は「人生は一切苦だ」といったらしいが、人間は「人生苦」などという抽象的なもので深く悩むことはできない。彼には具体的な苦しみの訳があったはずだ。それがなんだったのか、いろいろな人がいろいろな説を吐いているが、今に至ってはそれはどうで…

せつなさを殺せない

吉川晃司はもともと超高校級の水球選手で、当時学生水球界で圧倒的な強さを誇っていた日体大の特待生推薦を蹴って芸能界入りをしたという伝説を持つフィジカルエリートだった。つまりこの人の泳力は尋常ではないものがあるのなのだが、当時全盛だった芸能人…

平野啓一郎と田中慎弥

ブックフェアで平野啓一郎、田中慎弥、柴崎友香各氏の鼎談を聴く。個人的には田中氏の「読むように書くのが理想」という言葉が白眉だった。眠っているとき夢の中で進展するストーリーが圧倒的に面白いのは、自分で作っているという意識(責任感)から解放さ…

知識と思考

外山滋比古氏の講演をビッグサイトで聞く。知識量を増やすより思考力を涵養することが大切だとの説。言いたいことはわかるが、知識は思考の素材であり、そもそもこの二つに軽重をつけることが間違っている。確かに「素材に過ぎない」とは言えるが、素材がな…

カラオケ

昨晩、ほぼ一年ぶりにカラオケボックスにいった。薄壁一つ隔てた隣の部屋では、同じ人が延々と歌っていた。おそらくこれが世に聞く「ひとりカラオケ」というやつで、聞けば同行した二名ともその経験があるという。自分にはちょっと想像が及ばない世界だが、…

自分のご機嫌をとる

我慢には、「したいことをしない」我慢と、「したくないことをする」我慢の二種類がある。自分が子どもに先ず覚えてほしいのは「したいことをしない」我慢の方で、「したくないことをする」我慢はもっと成長してから覚えれば十分だと考えている。その理由は…

統合的視点について

日本社会を成長させるには女性の活用が不可欠だと持ち上げられる一方で少子化になるのは女性が子供が生まないからだと責められ、若いうちに子供を産まないと恐ろしいことになるぞと脅され、じゃあ子供を産もうとすると産婦人科医は不足しており、仕事をしな…

いちご白書をもう一度

学生運動というのは、結局のところ巨大な文化祭のようなものだった。はじめは踊る阿呆と、傍観する阿呆にわかれていたが、同じ阿呆だったら踊らなければ損だったから、脳みその賢愚を問わず、学生(多くは男子学生だが)はこぞってこの祭りに参加した。親か…

ミ・アモーレ

中森明菜の代表曲である。歌いかたといい、踊りといい、歌っているときの表情といい、中森明菜の持てる才能が全開になるのは、この歌をうたっているさなかをおいて他にはない。彼女自身も、おそらくこの歌が一番好き、というか、この歌をうたっているときの…

場に宿る神

出張がえりの新幹線の中で、乗務員や車内販売の女性が車両から出て行くときに振り返って一礼するのを見て、あの一礼は何に向かってしているのだろうかと考えた。もちろん、乗客に向かってしているのが主だろうが、おそらく「場」に対する敬意も微量に含まれ…

トリスタンとイゾルデ 前奏曲

歌謡曲という音楽ジャンルについての雑文を書きながら、いつ忸怩たる思いをしてきたのは、結局は歌詞についてしか書くことができないところだった。音楽の主役はあくまで音であって言葉ではないのだが、音から得る感動は言葉に乗らないので書きようがないの…

学校公開

自分が小学生だったときは「授業参観」と称し、自分の子供がいる学級の、それも1時間分の授業しか見られなかったと思うが、現在は午前中いっぱい、父兄はもとより地域住民にも学校を開放し、1年生から6年生まで、どのクラスのどの授業をどれだけ見てもよ…

奇妙な  

電車の中で前に座った中年男性が、株式投資入門みたいな本を読んでいた。この時勢のもと、とてもわかりやすい行動だが、株とはそもそも「みんなが買っているときには買ってはないならない」もので、これは、およそ20年ぐらい前、日本人すべての骨身にしみ…

思秋期

はるか昔に過ぎ去った自分のモテ期を懐旧の情にひたりながら振り返り、「ひとりで紅茶飲みながら」、かつて自分がソデにした男たちに「絵葉書なんか書いている」という、見ようによってはかなりいい気な歌だが、名曲なことには変わりない。この歌が名曲であ…

女性手帳

ひょっとするとこれは、少子化にかこつけた公共事業の一種なのかもしれない。公共事業は、巨額な無駄遣いがその政策の本質であり、手帳を何千万部も印刷会社に刷らせ、郵便や宅配便会社に配らせ、ゴミ箱から廃棄物業者に回収させ、焼却業者に灰にさせれば、…

初恋

ダブルのスーツにポマードをきかせた七三分け、貫録十分な体躯はどこの芸達者な部長さんか、と思われそうだが歴とした「シンガー・ソングライター」である。この文章を書くにあたりウィキペディアで「村下孝蔵」を検索してみたら、その人生のあまりの波乱万…

木綿のハンカチーフ

この歌は自分より一世代上のヒット曲で、自分が知った時にはすでに名曲としての地歩を固めていた。地方から就職で上京するが、華やかな空気に有頂天になり、色気づき、身なりはあか抜けてはいくが人間としては堕落していく愚かな男と、その浮薄な変貌にアラ…

無礼の風圧

武士が腰に大小を差していた時代は、他人と感情的摩擦を起こすことは刃傷沙汰に直結していた。侮辱されても刀を抜けないような人間は、武士の風上にも置けなかったのである。この気風は町人、百姓におよび、その名残は戦前まで残った。現在において、感情の…

あるオブジェ

東京ビッグサイトにある巨大なノコギリのオブジェ。道ゆく人たちに「このオブジェは有ったほうがいいと思いますか、無くてもいいと思いますか」と質問すれば、「無用の用」の解さない無教養な人間だと思われたくない人は「有った方がいい」と答え、「コスト…