トリスタンとイゾルデ 前奏曲

 歌謡曲という音楽ジャンルについての雑文を書きながら、いつ忸怩たる思いをしてきたのは、結局は歌詞についてしか書くことができないところだった。音楽の主役はあくまで音であって言葉ではないのだが、音から得る感動は言葉に乗らないので書きようがないのだ。

世に音楽評論家という人々がいて、楽曲の時代背景や、作者の人となりについての該博な知識を持ち、それを綴るのをなりわいとしているが、しかしその仕事は、その批評対象が音である以上、どこまでも虚しさから逃れることはできない。

きっと音楽評論家は一流になればなるほどその虚しさを深く自覚しているにちがいなく、読者の側からすれば、音楽評論を読む愉しみとは、その高度に洗練された虚しさを味わうことにこそあるのかもしれない。

トリスタンとイゾルデ」はワーグナー作のオペラだが、その前奏曲には歌詞がない。しかし、この曲を聴くと、自分の心のとても深い部分が揺さぶられるのをいつも感じる。

いったい自分はこの曲のどこに感動しているのだろうか。そもそも、百年以上昔につくられた西洋の調べに、百年後の日本人である自分がどうして感動するのだろうか。じつに不思議なことだと思う。