「はだしのゲン」とは何者か

当時小学生だった自分のこの漫画に対する興味は、原爆や戦争の悲惨さに神妙になるというより、次々と繰り出される残酷あるいは不潔な刺激的描写と、どんな目にあってもめげない主人公の驚異的な活力だったことを思い出す。

この漫画は週刊少年ジャンプの熾烈な人気投票を勝ち抜いて成立したわけだが、この漫画に投票した多くの小学生も、自分と似たり寄ったりの刺激をこの作品から感じていたと思う。

この作品を連載中の作者の心境を忖度すれば、それはおそらく戦争の悲惨さを世に訴えるんだといった崇高なものではなく、いかに漫画家として連載の継続を獲得して生き延びるか、そのためにどうすれば物語が刺激的で、面白くなるか、だったことだろう。

意地の悪い見方をすれば、戦争を主題にした作品において、すべての残酷描写は、「戦争の悲惨さを訴える」という美しい衣装であまねくカモフラージュされる。そして作者の計算も実にそこにある場合が多い。

だからといって、今回の松江市教育委員会の拙い対応を擁護するつもりもないのだが、戦争を主題にした作品は、有害スレスレあるいははっきりと有害になるまで真に迫らないと「面白く」はならない。「はだしのゲン」の面白さは、まさにそれが内包する有害さにこそある。

自分は小学生のときこの作品を読みながら「ゾクゾクするほど面白いが、でもこんなものを小学生の自分が読んでもいいのだろうか」と思っていた。そのとき、先生からこれを読むのはやめろといわれても、「ああ、とうとう言われちゃった。そりゃそうだよね」と簡単に納得しただろう。

いまや「ゲン」は、国際的な評価も高く、戦争漫画の金字塔として神聖にして犯すべからずの存在になっている。だからそれを「閉架」するような時代遅れなマネは糾弾されるのが当前のなりゆきなのだが、しかしこのニュースは「ゲン」に込められている毒の存在を、久々に自分に気づかせてくれたのである。