ミ・アモーレ

中森明菜の代表曲である。歌いかたといい、踊りといい、歌っているときの表情といい、中森明菜の持てる才能が全開になるのは、この歌をうたっているさなかをおいて他にはない。彼女自身も、おそらくこの歌が一番好き、というか、この歌をうたっているときの自分が一番好きだったにちがいない。

中森明菜の歌唱力は折り紙つきだが、この人は演技力もすばらしい。松田聖子はダイコン、小泉今日子は凡百であり、彼女の女優としての才能は、同時代のアイドル出身歌手の中でも際立っている。

歌唱力は聴く耳の出来不出来により、演技力は観察眼の賜物だとすれば、彼女は外部からの情報や刺激に対するきわめて鋭敏な受容体だったといえる。その鋭敏さは、ポジティブにはたらけば繊細さとして感性を耕し、ネガティブに転べば壊れやすさになりその身を滅ぼす。

彼女はいま心因性の重い病気に苦しんでいるということだが、今直面している苦しみは、不世出の鋭敏さをもつ受容体だった中森明菜にとって、宿痾というべきものなのかもしれない。

しかし、受容体は、悲しみや苦しみだけを受け止めるものではない。同じように、よろこびや安らぎを感受する機能もあるはずだ。彼女の周りにはその恵みを与えられる存在はもはやいないのだろうか。人間は人間によってしか苦しめられず、人間によってしか救われない。彼女の復活のカギも、そういう存在がこれから現れるかどうかにかかっている。