あるパラドックス

失恋が原因で自殺した人って、有史以来何人ぐらいいるのだろう。ひょっとすると億単位かもしれない。そのぐらい、恋愛というのは一種命がけの行為だ。

「失恋」というのは、最高度に大げさに表現してみると、「自分の全人格が全否定され、この世における存立の基盤を失うほどの、致命的な痛手」である。周囲がかんたんに「好きだったら告白しなよ」とはやし立てるのは、結局は他人事だからだ。

自分自身の過去の記憶をたどって見ると、誰かを好きになると、その対象になった人は自分の中でどんどん神格化され、どう転んだって自分とはとうてい釣り合わない高貴な存在に思われてきて(じっさいそんなことはないのだが)、告白なんかしても無駄だと思われ(じっさいそうなのだが)ていく。

もはや、その人を好きなのか、恐れているのか、わからないような心境になる。とどのつまり、「好きになればなるほど告白できない」、というパラドックスにはまり込み、まったく身動きが取れなくなる。

・・と、こんなことを考えたのは、かつて、ある新聞の投書蘭で、女子中学生が「好きな人が出来ましたが、どうしても告白する勇気が出ません」という「人生相談」をしていて、それに回答者きどりでコメントを寄せた女子高生が「告白できないなんて、それだけ本気じゃないということだよ」と答えていたのを、ふと思い出したからだ。

この女子高生の言葉には、ひじょうに違和感がある。というか、はっきりと間違っている。

こういうことをいう人間は、相当な自信家か、無神経か、どちらかだろう。(もっとも自信家は無神経だと相場は決まっているが)真相は、まったく逆だと思う。

「本気になればなるほど告白できない」のが恋愛の実相だ。本当に、心の底から好きな人に告白するには、丸腰の弱者が、完全武装の強者に挑みかかっていくような、命がけの、ほとんど蛮勇といっていい勇気が要る。だから自分には、好きになればなるほど告白できず、ひどく苦しんでいる、女子中学生の心境のほうが、しごくもっともに思える。

とはいえ、決死の覚悟で告白しなくては、なんにも始まらないことも、また現実なのだ・・やっぱり、人生って過酷だね。