ある寓話

「今日は、御社の業務効率化についてお話に参りました」
 画面に映っている若い男の計算づくで作りこまれたような笑顔を見ながら、わたしはこのテレビ電話というものにどうしても馴染めない自分を感じていた。けれども、テレビ電話の使用が法的に義務づけられた今に至ってそんなことを嘆いてもしかたがない。
 それにしてもこの男、日頃接触している人間たちと何かが違う。身なりも顔立ちもこれ以上のぞめないほと整い、口からでてくる言葉は言いよどみ一つなく、内容も理路整然として、するすると言うことがこちらの頭に入ってくる。それは自分はこんなに理解力のある人間だったのだろうか、といぶかしく思うほどだった。しかし、何かが常の人間と違うのだ。わたしがその何かを探しているうちに、男は言葉を重ねてきた。
「御社には、社員の方は何人ぐらいおられますか」
「300人ほどですが」
「ご立派です。しかし、弊社のシステムを導入いただければ、それを半年後には4割まで削減することができます。もちろん初期投資費は必要ですが、それ以降は減った人数分の人件費はそのまま利益になります。」
「コンピュータに仕事をさせる、ということですか」
「そういうことです。この十年間で生命保険の営業員は40%、書店数は50%減りました。これがどういうことを意味しているか、お分かりでしょう。保険や本のネット販売が一般化してきたからです。つまり、コンピュータは優秀な保険勧誘員や書店店員と遜色なく仕事ができるという証明です」
「ふむ・・・」
「株式市場でも、人間の判断を挟まずコンピュータが自動で売買注文を行う高速取引が東京市場の株式売買の8割がたを占めています。」
「われわれが行っている仕事は、保険や書店や株の売り買いとはわけがちがうよ」わたしは内心いささか気圧されながら、男の言葉を脇にさばくように、コーヒーを一口含んだあとに、落ち着きを装って言った。
「当社は出版社だ。本や雑誌をつくるというのは、論理と言葉を駆使して、高度に思考して、知的な価値を創造する営みだ。これはコンピュータが一番苦手とするところではないかね」
 男は薄気味悪いほど爽やかな微笑をたたえながら「御社の社員は、どこの学校を出られていますか」といった。
男の突拍子もない質問にわたしは面食らった。
「それがいったい何だというんだね」
「大卒の方が多ございますか」
「それはそうだが・・」
「なぜ大卒の方を多く採られるのですか」
 とっさの問いに、わたしは回答に窮した。言葉やイメージがばらばらに頭の中を浮遊し、まとまりがつかないでいるところに、男は言葉をかぶせてきた。
「思考力があること、記憶力があること、与えられた課題にちゃんと取り組む真面目さがあること、彼らにはそういうことが期待できるから、といったところでしょうか」男は、予め答えを用意してきたかのようにすらすらと述べたてた。
「記憶力があること、課題に真面目に取り組むことにおいては、コンピュータがすでに人間をはるかに凌いでいることはすでに明白になっています。数十万年分の新聞記事を記憶し、数十年間不眠不休で稼働し続ける、そんな芸当は人間にはできませんが、コンピュータにはたやすいことです」
「思考力についてはどうなんだ」わたしは小さく叫ぶようにいった。「現実から与えられる複雑な課題に対し、柔軟に考えを巡らし、解答を探していく、そんな芸当はコンピュータにはできまい」
「今やコンピュータには人間に伍するほど、いいえ、それ以上の思考力があります。ところで、そもそも思考力は何に支えられているかをご存知ですか」
 わたしはまた回答に窮した。今度は頭の中で答えがまとまらないのではなく、そもそも、そんなことはまともに考えたことがろくになかったからだ。
「思考力とは、実は記憶力が昇華したものなのです。人間は思考力と記憶力を分けて考えがちですが、予めインプットされた素材なくして人間は思考も創造もできません。インプットの無いアウトプットがあり得ないように、記憶力の裏づけがない思考力など絵空事です。記憶力があるからといって思考力があるとは限りませんが、思考力がある人は例外なく記憶力もある人だといえます」
「まさに、そこだよ」わたしは早口にいった。「記憶力があるからといって、思考力があるとは限らない。あなたが言ったとおりだ。まさにそこがコンピュータの限界じゃないのかね」
「10年前までは確かにそうでした」男は落ち着いた口調だった。この男は、わたしが話すことに対して、まるで想定問答でも用意しているかのように、よどみなく切り返してくる。わたしの胸の中に小さな怯えが芽生え始めていた。
「基本的に、コンピュータはすでにインプットされている与件を検索してアウトプットするだけの機械です。その大原則はどこまでいっても変わりません」
「それみなさい。そこがコンピュータの限界だ」わたしは少し勢いづいている自分を感じていた。しかし、それが再び萎えるまでそう時間はかからなかった。
「チェスや囲碁や将棋などのボードゲームにおいて、すでにコンピュータソフトが生身の名人たちをはるかにしのぐ実力を示していることはご存じだと思いますが、あのソフトの中に組み込まれている最も重要なデータは、過去のすぐれた人間が残した膨大な量の棋譜です。つまり、あのソフトは、これまでボードゲームの名人たちがさまざまな局目で下した判断とそれが導いた結果を記憶し、それらを実戦の似たような局面で検索し抽出しているだけのものなのです」
「・・・・」
「しかし、そのシンプルな仕組みが、どれだけ強力なものかお分かりでしょうか。たとえて言えば、生身の棋士は過去の名人たちの亡霊に寄ってたかってなぶられているようなものなのです。ある意味、たった一人の人間が勝てる方が不思議だと思われませんか」男はここまで一気にしゃべり、一拍の間を置いた。このあたりのプレゼンテーションの呼吸も、小憎らしいほどだ。
「過去の優秀な人間の判断をデータベースして、時に応じて条件検索をかけ抽出するシステムは、すでに下級審裁判や特許審査で試験的に導入されており、近ぢか本格的に稼働するでしょう。これで、従来数年かかっていたそれらの審理が、数秒で行われることになります。また、株式市場では、リアルタイムに世界各国のニュース記事を読みとり、過去の有能なディーラーが行ったすぐれた判断に照らし合わせて売買の決断までするソフトが活躍中で、その精度も日進月歩で高まっています。株式市場が無人化し、人間はいっさい頭を労せずそれがもたらす利益だけを享受する日も目の前にきています」

 わたしは半年間の試用期間を経て、あの若い男の会社の業務効率化システムを本格的に導入した。そして、その成果は期待以上、を通り越して、まことに驚くべきものだった。 
 すでに電子書籍が一般化し紙の本が一部好事家の嗜好品になっていたという追い風もあったが、しばらくすると、わたしの出版社からは営業部員はすべて姿を消し、基幹である編集部門もその業務のほとんどがコンピュータに代替されていった。作家やライターへの執筆者の選定と依頼、金額交渉や進行管理だけでなく、コンピュータが執筆そのものまで行うまでになった。
 コンピュータが日々大量に創り出すコンテンツは的確そのものだった。データべースされた古今東西のベストセラーのテキストマイニングと傾向分析をおこない、ターゲット読者のマインドを勘案した企画を立て、その方針にのっとってインターネット上の多種多様な関連情報を収集し分類し整理し、正確な論理構造と平易達意の文章に仕立て上げる技量は、文字通り「人間業を超えて」いた。
 とくに好評だったのは、すでに物故者になっている過去の大作家の作風でコンピュータが現代小説を書く「再生」シリーズで、中でも半年前にリリースした「再生・村上春樹」の一連の作品は大ベストセラーになった。年老いたオールドファンには「まるでハルキが生き返ったようだ」「新作が読めるなんて夢のようだ」と歓喜の声で迎えられ、リアルタイムの作者を知らない新しいファン層の獲得にもつながり、過去の本物の村上作品まで息を吹き返すというオマケまでついた。
 わたしはこの「再生」シリーズの収益で新たな設備投資を行い、社員をさらに大幅に削減することにした。
 
 あの若い男の会社とシステム契約したから三年ほどたったある日、わたしは自宅の書斎にあるパソコンの前で座っていた。社長としてのわたしの仕事は、朝にパソコンを立ち上げ、続々と自動生成されるコンテンツと、日々伸びていくダウンロード数と振り込まれる印税のグラフを画面で眺め、夕方にシャットダウンすることだけになった。
 経営者であるわたし以外、もはや社員は一人もいない。目の前にあるこの1台のパソコンだけがパートナーだ。しかし、わたしの会社の売り上げは、社員が300人いたときの約三倍にふくれあがっていた。
 突如パソコン画面にアラートが表示された。テレビ電話の着信があったシグナルだ。電話を受けることを承諾すると、画面にあの若い男が現れた。三年ぶりに顔を見るというのに、男の容貌は、髪型一つ変わっていなかった。
「ご無沙汰しております。お元気でしたか」
「あまり元気ではないね」わたしはつぶやくように答えた。
「どうも最近、何をするにも億劫になってしまってね。外出もほとんどしないし、食欲もない。寝つきも悪い」
「どこかお悪いのですか?」
「頭が多少重たい感じがするぐらいで、どこが痛いとかいうわけでもないのだが・・医者に診てもらおうという気力さえわかないんだ」
「それはご心配でしょうね。きっと経営のご心労がたまっているのでしょう。何せ、おひとりで全責任を背負ってらっしゃるのですから」
 近ごろは日々機械まかせでのんきに暮らしていると思っていたが、やはり知らず知らずのうちに会社を経営する心労は溜まってきていたのかもしれない。
「そんなあなた様にうってつけのシステムを今日はご紹介に参りました。これは経営層が使用するに特化した、ビッグデータ解析システムです。世界中で日々100億件といわれる、SNSの書きこみや、つぶやきや、画像・音声・映像データをほぼリアルタイムで入手し嗜好やトレンドを分析、それに御社の商品の販売状況を掛け合わせ、従来一ヶ月や半年単位でくだしていた経営判断を、よりタイムリーに、より的確にシステム自身がおこなってくれます。これによって商品の需要予測の精度が飛躍的に高まり、従来、経験と勘と慣習に頼っていた主観的な企業経営が、データを土台にした客観性の高いものに生まれ変わるのです」
「・・・・」
「これによって、経営の精度が高まるだけではなく、経営者の精神的肉体的負担も飛躍的に軽減され、最終的には経営者が不要になります。そうなれば、さらに会社の売り上げと収益が高まるだけでなく、あなた様の心労もなくなり・・・」

 若い男のプレゼンテーションはしばらく続いたが、正直なところ、この男の話す内容を、わたしはまるで理解できていなかった。この男の話だけではない。近ごろのわたしは、自分の身の周りで起こっていることすべてに現実感を持てず、すべてが乳白色の煙幕で覆われたように、ぼんやりとしか見聞きすることができなくなっていた。
 とはいえ、この男は信頼できる人間だと思う。きっと悪いようにはしない。すべてを任せても、きっと大丈夫だと思う。なにしろこの男のいうことは、いつだって機械のように正確なのだから。
 わたしは男のいう通りに、いつの間にか画面に立ち上がっていた契約申し込みフォームに必要事項を入力しはじめた。
 入力作業をしながら、わたしにはひとつだけ気がかりなことがあった。さっきの男の話の中に「何とかが不要になる」という言葉があったが、その「何とか」がどうしても思い出せないのだ。とても重要なものだったような気もするし、どうでもいいものだったような気もするのだが、思い出せないのだからきっとどうでもいいものだったのだろう。