「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の肖像」展

上野の東京都美術館で開催中の「レオナルド・ダ・ヴィンチ展 天才の肖像」を見に行った。

出展されていたダ・ヴィンチ作品は、ほとんどが「手稿」と称されるアイデアメモ(一部は単なる落書き)であり、画家としての作品は、宣伝素材として使われている「音楽家の肖像」という油彩画のみであった。だからこの展覧会を、「ダ・ヴィンチの画家としての傑作が一同に集まった美術展」だと期待して訪れた人は、きっと肩すかしをくらったことだろう。

そもそもダ・ヴィンチは「芸術家」として美術史上にどういう位置を占めているかというと、実はそれほどのものでもない。同時代のミケランジェロラファエロといった錚々たる専業芸術家と比較すれば、彼はその作品の質、量ともにかなり見劣りがする。

わずかに比肩しうる作品は「モナ・リザ」だけだろうが、この作品がそうやすやすと海を渡ってくるはずがなく(終戦直後に一度来たことがあるらしいが)、自分はこの展覧会を美術展と位置づけて来たわけではなかった。それにしても、あの精緻な人体の解剖図ぐらいは来ているのではないかと期待していたのだが、それも来ていなかった。

というわけで、この展覧会は、正直なところ(というか勝手ながら)、見るべきものはまるでない、といわざるをえないのだが、ただ、これまで、ダ・ヴィンチという一個の人間に対して抱き続けてきた個人的印象を整理することはできたので、それについて書いてみる。

ダ・ヴィンチは、世に「万能の天才」と呼ばれている。彼がその能力を発揮した範囲は、絵画はもとより、バイオリンの演奏、建築家、都市設計者、兵器設計者、寓話作家、とあらゆる芸術・科学分野に渡るのだが、これは別々の能力をバラバラに持っていたというわけではない。

これらの顕在化した多種多様な能力は、潜在的にはひとつの根として繋がっていたと見るべきものだ。その根とは「観察力」である。かれはその緻密な観察眼を武器にして、絵を描き、生物の体の仕組みや機械の構造を明らかにしていった。

そして、絵を描けば芸術家になり、構造を明らかにすれば科学者になった。芸術家と科学者の兼業といえば、昨今では「小説を書く医者」とか、「エッセイを書く分子生物学者」とか、「俳句を詠む物理学者」と言ったたぐいがゴロゴロいるわけだが、その多くが「科学者と文筆者」という組み合わせであり、ダ・ヴィンチのように科学者と美術家をハイレベルで兼業した例は、古今東西ほとんど無きに等しい。

とはいえ、もともと、芸術(美術)と科学は、隔絶して存在しているものではない。両者は観察と創造という共通因子を持つ双生児であり、両方の才能を兼備している人間の存在は、本来、さほど驚くべきことでもないのであるが、しかし、人類史の中で、ひとりダ・ヴィンチだけが突き抜けた存在感を示しているゆえんは、それは彼のほとんど「透視術」といっても良いほどの、観察眼の高みではなかろうか。

多くの芸術家が人間の顔や肉体に美を見いだすが、しかしそれは、あくまで皮膚の外の範囲にとどまる。ダ・ヴィンチの眼光は表皮を通り越して、その筋肉や骨格や骨や血管や内蔵に及ぶ。ダ・ヴィンチの眼光が、皮膚表層でとどまるときは彼は芸術家であり、そこを突きぬけて内臓や筋肉まで至るとき、彼は解剖学者になる。しかしその分類はあくまで世間的な便宜に過ぎず、当の本人は、その区別などとんと無頓着だったに違いない。

今でこそ、人体描写に解剖学の知識を活かすことは一般的になっているが、当時の芸術家でその意識や必要性を持っていたのは恐らく彼ひとりだったろう。ミケランジェロは人間の肉体美を描いたが、その肉体描写は解剖学の知見を取り込んだ理性のコントロールが利いたもの・・とはお世辞にも言えない。

ミケランジェロの肉体描写は、どこまでも中世的な観念主義を出ていない。しかし、彼が観念的、ロマン的、宗教的であればこそ、あの人間業とは思えない、爆発的な芸術上のエネルギーが生まれたのだ。逆に言えば、ダ・ヴィンチは人間の肉体についてあまりに現実的で、理性的であったからこそ、絵画に本物の執念を燃やすことができなかったのかもしれない。

なお、ダ・ヴィンチは、当世風に言うところの「アイデアマン」でもあった。おそらく彼は、生きているとき周囲から「恐ろしく頭がいい男」と見られおり、様々な課題を抱えた人々から色々な相談を持ちかけられ、それにいちいち応えているうちに、そのアウトプットの範囲が広汎になっていったのだろう。

とはいえ、彼の生んださまざまなアイデアの多くは、紙の中から一歩も出ることはなかった。彼が設計した都市は建造されることはなく、彼が構想した兵器は実戦配備されることはなく、彼が夢想した飛行機械は空を飛ぶことは無かった。しかしこの事実は、彼の能力を少しも貶めるものではない。すぐれた人間のもっとも本質的な歴史的役割とは、ビジョンを創出し、未来を照らすことにある。ダ・ヴィンチは十分にその役割を果たしたと言えるであろうから。