人間は万物の尺度である

 自分が寛大だからと言って、相手も寛大であるとは限らない。自分が賢明だからといって、相手も賢明だとは限らない。自分が愚かだと言って、相手も愚かだとは限らない。自分が楽しいからといって、相手もたのしいとは限らない。自分が苦しいからといって、相手も苦しいとは限らない。

人間は自分自身でしかいられないから、自分を尺度にして相手を測るしか方途がないのだが、その尺度は手前勝手な目盛りしか刻んでいないから、常に計測は不安定で、間違ってばかりいる。しかし、間違ってばかりいるからといって、他人を尺度に持ち出すことはしてはならないし、そんなことはそもそも出来はしない。

「出来はしない」ということを心の底からわかっていることは思いのほか大切で、ともすれば人間は、自分の尺度が通用しないと、すぐに他人の尺度で自分を測ろうとする。できないことをしようとする。あらゆる迷妄は、自分の尺度を捨てて、他人の尺度を持ち出そうとするところから始まる。

他人の尺度はつかえないし、そもそもそれが正しいかどうかわからない。大抵他人の尺度は自分には間に合わない。どうせ間違っているのだから、自分の尺度を保持しようが、他人の尺度を持ち出そうが、たいして変わりはない。だったら、今ある自分の尺度を使うしかない。