攻めと守りの要諦

人間が攻撃的になるのは攻撃されるのを恐れているからだ。戦場では自分が弾を撃っている間は敵の弾は当たらないという妙な思い込みに囚われるらしいが、平時でもこの類いの妄念から逃れるのは難しい。

「攻撃が最大の防御」になるのは、自分に敵を圧倒する力があるケースに限られる。攻撃とは自分の構えを崩すことだから、付け入られる隙も自動的にできてしまう。もっとも強いのは守りを固めつつ攻める「攻防一致」の体勢だが、これができたらもはやその人は名人である。

野球やアメフトのように攻める側と守る側が区別されているスポーツはまれで、大概のスポーツは攻めながら守り守りながら攻める必要がある。サッカーやラグビーは自チームがボールを支配している間は攻めの時間で、逆は守りの時間だが、攻防は一瞬にして切り替わるので、常にそれに備える必要がある。

格闘技や武道、相撲などはもっと複雑で、攻めるべき時と守るべき時の判断がすごく難しい。「判断」などという悠長な言葉すら適当ではないほど瞬時でかつ精確は反応が要求される。この要求に応えられなければ敗北するしかない。

格闘技や武道においてもっとも高度な戦いかたは、相手にわざと隙を見せて「いまは攻めるタイミングだ」と思わせて「攻撃」におびき寄せ、相手の構えを崩し、そこを突く戦術である。いわば「罠にはめる」わけだが、これが成立するには、技能的に心理的にも相手の上位に立っている必要がある。