敬意について

  • 自分のことを頭がいいと思い込んだ増上慢は手に負えないが、自分のことを頭が悪いとさげすむ卑屈さも始末に負えない。 

    頭脳の働きにはスポーツのように「得意種目」があり、ある種目では「頭がいい」人が、別の種目では「バカ」になることも多い。 

    その実状に無頓着で、一つのエピソードのみでヒトのことを「頭がいい」とか「バカだ」とか軽々に断ずるのは愚かなことで、それこそ、「すくなくとも人物批評という種目においてはその人はバカだ」という話になる。 

     そして、人間は、自分が得意な頭脳の働きが苦手な人を「バカ」と蔑む傾向がある。自分も他人から容易に「バカ」に見えることも知らずに。 

    これは、金持ちが貧乏人を蔑み、高学歴者が低学歴者を蔑み、芸術家が俗物を蔑み、政治家が国民を蔑む、という諸図式に似ている。 

    人を蔑むほど簡単なことはない。自分の得意技を物差しにして、他人にあてがい、「やっぱり俺より短い」とか言っていればいいのだから。 

    雅量とは、人間が人間に対して持ちうる敬意のカサの謂いで、それを、心の容器にいかに湛えているかが、そのまま人間の値打ちだと思う。 

    しかし、現代は、他者への敬意のいだきかたを知らない人が多い。他者への敬意を欠くと、他者とは軽蔑する対象か恐怖する対象かの二つにひとつしかなくなる。 

    そして、軽蔑と恐怖は「嫌悪」へ等しく直結するので、とどのつまり、周囲は「嫌いな人」ばかりになる。そうなると、この世界は仏教でいう「怨憎会苦」の生き地獄になりかねない。 

    つまり他者への敬意は、他者の心を温めるだけでなく、自分自身が楽しく幸福に生きるための必須アイテムでもあり、逆に言えば、他者への敬意を欠いた態度が常態になれば、人生はいずれゆきづまり、人間はかんたんに不幸になる。