関係欲

 例えば今をときめくピケティ氏に「あなたの本の内容を一言でいうとなんですか」という質問は「あなたの一生を一言でいうとなんですか」というのと同じぐらい無茶である。「てっとり早くわかりたい」病患者に、真実が姿を見せることはない。なぜなら「てっとり早くわかる」ところに真実などないからだ。

単純なことは単純に、複雑なことは複雑に説明するべきだ。単純なことを複雑に説明する行為には捏造が、複雑なことを単純に説明する行為には隠蔽がつきものであり、その両方には「複雑に見せて偉そうに見せたい」「単純に見せて頭よさそうに見せたい」という要らざる虚栄心が均しく隠されている。

人間は、他人から、「理解されない」ことも「理解される」ことも、等しく望んでいる。理解されてしまえばあとは雑誌のように読み捨てられるだけだし、理解されなければ共感を得られない寂しさに凍えることになるから。

つまり、他者から「見離されない」ようにするには、「理解されない」ことと「理解される」ことが両方必要であることを人々は直覚的に解かっており、その戦略として「捏造」と「隠蔽」を日々使い分けているのだ。

すべては「他者とつながっていたい」という、人間の根源的で普遍的なコミュニケーション欲求の発現である。

人間同士をつなぐものは、「愛着」や「敬意」だけではない。「憎悪」や「軽蔑」も人間同士を結びつける力があり、そのようないわばマイナスの結びつきですらも、人間のコミュニケーション欲求を満足させる力がある。

周囲にいる他者と、絶えずイザコザばかり起こしている人や国は、完全に孤立する心細さよりも、憎悪されながらも他者と関わる道を選んでいる。「他者」たちにとっては迷惑千万な話だが、当人にとっては生きるか死ぬかの瀬戸際のふるまいなのだ。

人間は、「理解されたい」「理解されたくない」「好意を持たれたい」「憎悪を持たれたい」という様々な、うらはらな感情をチャネルにして、とにかく他者とのコミュニケーションを希求している。親和すべき味方であれ、滅ぼすべき敵であれ、人間である以上、その相手は例外なくそれを望んでいる。