選ぶ側の性

 金曜夜の十一時過ぎの電車の中は、飲み会帰りの乗客が多いものだが、先日、それらしきすっかり出来上がっている、男1人女2人の若い三人組が自分の目の前で会話をしているの聴いた。

容姿的には美男でも美女でもない三人だが(この情報は余計だが)、女の1人が男のからだにしきりに触っているのが目についた。はじめは背中を軽く叩いたり、背広の袖をつまんだり、といった程度だったのだが、だんだん、指を握ったり、おとこの肩にもたれかかったりとエスカレートしていった。

様子や会話からこの三人は同じ会社の同僚(おそらく同期)で、この男女が付き合っているという感じでもなかった。ようするに、この女性は同僚がいる前で肉体接触による好意のシグナルを送っていたのである。酔った勢いを借りて、きっと極めて打算的に。

こういう光景を目にしたときにどうしても考えてしまうのは、男女の立場が逆だったらどうか、ということである。もし男性が好意を持った女性に向かって、酔った勢いでブラウスの裾をつまんだり、肩に手をおいたりしたらどうなるか。「好意」のシグナルは伝わるだろうが、おそらく「憎悪」の反作用を引き起こすだろう。たとえ女性が男性に好意を持っていたとしても、「そんなことをする男なんだ」と知ったとたんに、「百年の恋も冷める」かもしれない。

この男女の差はいったい何なだろう。一般的傾向として、男性は女性からのオファーを「相手が女性である」という只それだけの理由で(受け入れるかどうかは別にして)嬉しがる傾向があるが、女性にとって埒外の男性からのオファーはただひたすら迷惑なだけである。

この一般的現象を説明するための「女性は優秀な遺伝子を残すために異性を冷徹に選別するのだ」的な分析をよく見聞きするが、こういう後出づけ丸出しのもっともらしい仮説はあてにならない。

もし世の女性が、「優秀な遺伝子を残すために男性を厳しく選別している」のだったら、世界はもっと「優秀な人間」で溢れかえってもよさそうなものだ。男性も女性も、お互いに、時に賢明に時に愚劣に相手を選び、成功したり失敗したり、幸福になったり不幸になったりしている事情は、似たようなものだろう。

考えの糸は切れたままにしておくが、一つだけ言えるのは、動物において、「選ぶ立場」に立つのは往々にしてメスであり、おそらくこのセオリーは(どんな愚かな選択をするにせよ)人間にも当てはまるという厳かな現実である。