死に至る怠惰

 たいていの子供は同学年内のつきあいで精いっぱいだが、コミュニケーション力のある子供は、上とも下とも交流の範囲を広げる。ただそれが中学一年生と高校三年生ともなると文字通り「大人と子供」で、上に相応の雅量が無いと凄惨な上下関係になる陥穽がある。

現代社会には、虐げられるより虐げる側に回るべしという暗黙の価値観があり、さらには「弱い者苛めは卑怯」というモラルも崩壊しているから、いったんできた凄惨な上下関係を自浄する作用は内部にはまるでなく、これは外部から壊すしかない。

世の中で起きている凄惨な事件は、突発的に起きたものよりも重層的な危険信号の果てに起きているケースが多い。大人が起こすにせよ子供が起こすにせよ、周囲がそのシグナルをスルーしてしまうのは、それを見落としているからではなく、認識することによって強いられる行動を億劫がるからではないか。

これは子供を死に至らしめる怠惰だ。通り魔のようなある種の不可抗力ではなく、具体的に対応可能な現実だ。しかし、現実の親や教師は「何かと忙しく」「余裕がなく」、「子供どうしの関係だから、ほおっておけばまた仲良しになるだろう」と、「たかをくくっている」。

「子供の死」という結果がでてから、そこへ至る様々なエピソードを演繹したって追いつかない。様々なエピソードから未来の「子供の死」をまざまざと帰納する想像力が必要なのだろう。

「これはまずい」「放っておけない」という気づき、周囲の大人はその直観から逃げたり、ごまかしたりしては決してならないのだろう。

中1殺害 通夜で同級生ら涙
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6151568