不要な掟

 人間の考えていることなんて、多かれ少なかれ、どうせどこかからの借り物なのだから、人が考えたり書いたりしたことでも、まるで自分が考えたことのように書いたりしゃべったりしても、一向にかまわないのではないか、という気が最近している。

いちいち、「ソクラテスによれば」とか「坂口安吾の言葉を借りると」などという断り書きなど、ただ自分がソクラテス坂口安吾を読んでいるほどの上等な人間だという虚栄心を満たす以外に、どういう意味があるのかよくわからなくなってきた。

もちろん、引用は引用元を明示するのが論文の作法であり、掟でもあり、もっとレベルの低い話をすると著作権的にどうだこうだという事情はあるのだろうが、そんなことは真の大事の前ではしょせんどうでもいいことのように思える。自分はまだ当分生きるつもりだが、そういう思考に時間をつぶすほど、残り時間はありあまってはいない。

自分は、もし自分がオリジナルで考えて、書いたりしゃべったりしたことが、ほかの人からさも自分自身で考えたような口ぶりで語られるのを見たら、ここまで他人の肉体に食い込む言葉を自分が吐けたこときっとうれしく思うだろう。間違っても「それ、俺が最初に言ったことじゃん」なんてことは言わないし、言いたくないし、そういうことを平気で言ってしまうほど、くだらない人間には絶対になりたくないというプライドもある。