歴史を知るとは

 アルベール・カミュというフランスの作家が書いた「異邦人」という小説の主人公ムルソーは、「太陽がまぶしかったから」という理由でアラブ人を殺害する。この「動機」は裁判において当然ながら何らの情状も酌量されず、彼は死刑判決を下される。

殺人の動機と言えば、現実社会でも空想世界でも、怨恨や復讐や財産強奪や思想対立など余人が納得できる明快さをもつのが普通だから、この作中で主人公が吐露した「不条理」な犯行動機は、当時大きな反響をもって迎えられ、作者はのちにノーベル文学賞を受けることとなる。

自分は、ムルソーが吐露する動機は、2つのことを表現していると思う。ひとつは、作品のテーマであるように人間の行動は時に突発的で衝動的であり脈絡がないこと、もうひとつは、そういう勝手な衝動を容赦なくぶつけるほど主人公は被害者を人間として軽んじていた、ということである。

主人公が被害者を軽んじていたのには、「不条理」ではない歴史的背景がある。主人公が殺人を犯したのはアルジェリアにおいてだが、当時アルジェリアはフランスの植民地であり、かの地におけるアラブ人とは被支配者層であり、つまり主人公と被害者は、宗主国と植民地の関係だったのである。

ここでは「世界文学史上の名作を、植民地差別の視点から分析する」ことの是非を論じるのは主眼ではない。自分がここで言いたいことは、ひとまず以下のことである。

あらゆる文学作品は、作者がそれを意図するしないにかかわらず、その時代を投影している。逆にいえば、その時代の気分や雰囲気を知りたければ、「その時代に書かれた」文学を読むのがもっとも良いということである。「異邦人」という「不条理」をテーマにした小説ではからずも読者は、フランスのアフリカ植民地統治という「歴史」の一断面を知ることができるのである。

注意を要するのは、歴史を知ることができるのは「その時代に書かれた」文学であり、「その時代を書いた」文学ではない、ということである。つまり江戸時代の気分を知りたければ、井原西鶴古典落語に接するべきであって、池波正太郎藤沢周平を読むのではない、ということである。

現代作家による時代小説は、過去を描きながらその実、現代を批評している。時代小説家はしばしば現代に失われた美風を小説の中で再生するが、彼らはそうすることによって「過去の美風が失われた現代」を逆説的に描いているのである。

また史実に則って書かれる歴史小説においても、その書き方は、すでに判っている結末から逆算して物語を構成し、作者は登場人物の中に入り込むというよりも、上空から操り人形のように動かしている。

自分は小説家の想像力の限界を責めているのではない。本当の意味での時代の気分というものは、その時代をリアルタイムで生きた人にしか絶対に判らないし、その気分を後世の人が少しでも感受するには、たとえどんなに拙いものでも、その時代に生きた人がその時代に書いた文章に接するしか方法がないのである。

たとえば、奈良時代を知るには万葉集を読むべきだし、平安時代を知るには源氏物語を読むべきだし、イギリスのインド統治を知るにはキップリングを読むべきだし、革命前夜のロシアを知るにはドストエフスキーを読むべきであるし、フランスの植民地統治を知るには「異邦人」を読むべきなのである。

ただ読むだけでは足りない。そこに描かれている空気や毒を十分に吸い込んで、稚拙でも思いこみでもいいから、自分なりの歴史観を内面に醸成しなくてはならない。これはとても難しいことで、生身の生活者は、そんな時間も余裕も感受性もないのが普通である。そもそも、何の因果でそんな面倒なことをしなければならないのか、という問題もある。しかし、実行するかしないかは別にして、本当に歴史的教養を得たいのならば、これしか採るべき手続きは無いのである。

なぜ自分がこんなことを躍起になって書いているかというと、今、書店店頭において、主にビジネスマンをターゲットにした「歴史的教養」を見につけるための書籍が山積みになっている現象とそのような風潮に、疑問を感じているからだ。

今の歴史教養ブームに乗って著作を連発しているある著述家は、自分はある教科書会社が出版している日本史や世界史の教科書を三十年間繰り返し読むことで「歴史的教養」を身につけた、という趣旨のことを言っている。

一冊の参考書や教科書に狙いを絞って、繰り返し学習することは学校受験や資格試験に合格するメソッドとして確かに効率的だろう。ただし、「教科書」を繰り返し読んで身につく(記憶できる)のは、歴史の知識であって教養ではない。

歴史の知識は情報として頭の中で大量に収蔵しておくだけでは、無知な相手にハッタリを利かせる以外、何の役にも立たない。知識が発酵して、姿かたちを換えて、はじめて滋養になるのであり、それには時間が必要である。さらに言えば、情報はただ放置しておけば自然に教養へと発酵するものでもない。それには時間プラス「何か」が必要なのだ。

今、NHKで「ファミリーヒストリー」というドキュメンタリー番組が時々放送されていて、自分もたまに観るのだが、この番組を見ていると「歴史情報」と「歴史教養」の違いがよくわかる。

ファミリーヒストリー」は、取材班が、ゲスト(その多くは芸能人)の家族や祖先に関する情報を集め、それをドラマ仕立てに編集し、スタジオに招いたゲストの目の前で上映する番組である。ゲストは自分自身も知らなかった家族や家系に関する事実に直面し、感動したり反省したりするという趣向である。

過去の生身の人生や家系をほじくり返すのだから、実際のところ表沙汰にするのに憚られる行状や事実も出てくるはずで、番組ではそれらを上手く取り除いて感動ストーリーに仕立て上げており、そこのところに微かな欺瞞を感じるがそれはさておき、

番組スタッフは取材によって、ゲストさえ知らなかった様々な事実をゲストより先に知るのだが、それをもってして番組スタッフがゲストよりもその家族や家系について「よく知っている」ということにはならない。

番組スタッフは情報を拾い集めたに過ぎず、この拾得物が教養として本当の意味を持つのは、ゲスト自身が生まれてこの方の育んできた、自らの家族や家系に対する深い愛着が必要になる。情報収集役としての番組スタッフには、この「愛」が決定的に欠けているから、どんなに大量に情報を拾い集めても、それが教養として滋養になることはない。

ある歴史学者の著作にこんな一説がある。「小説を書くために史料を読み込んでいくうちに、だんだんと歴史そのものから離れられなくなり、小説でありながら歴史叙述を行うようになるのです」

晩年の森鴎外へは、創造力を飛翔させる物語作家から謹厳だけが取り柄の歴史考証家に堕落したという批判もあるらしい。小説家は、歴史を素材にして物語を作るべくまずはその時代に書かれた文献(書物や手紙)にあたるのだが、その過程でどんどん事実がもつ圧倒的な磁力にとりつかれて下手な作り話を書く気力が萎える、ということがあるのだろうか。

それとも、あまりに事実に対する純粋な愛着が深まりすぎて、それをネタに架空の話をつくることがひどく汚れた行為のように感じられてしまうようになるのだろうか。

鴎外自身は「歴史其の儘と歴史離れ」という文章の中で、「わたくしは史料を調べてみて、その中に窺われる『自然』を尊重する念を発した。そしてそれを猥らに変更するのが厭になった」と述べている。彼は「この縛りの下に喘ぎ苦しんだ。そしてこれを脱せようと思った」のだが、結局は思い通りにはいかなかったようだ。

先述した歴史情報を歴史教養を発酵させる「何か」の正体は、「愛着」であると自分は考える。何についても愛着を持つのはとても難しいことではあるが、真理であることと難易度とは、本質的には何の関係もない。

小林秀雄は「現代に関心を持て、ということがよく言われるが、その言葉の中身はようするに『新聞雑誌をよく読め』ということではないか。無頓着にそんなことを言っている人間を僕は馬鹿だと思っている」と述べている。

自分も新聞雑誌を「よく読」んでおり、たとえば現在の中東における紛争の対立構図ぐらい頭に入っているつもりだが、空爆で子供を失って嘆き悲しむ母親とは今の中東の現実を理解することにおいて隔絶している。

では、現実を理解するためには子供を殺される必要があるのだろうか。この問いはある意味「イエス」である。真に「歴史を知る」とは、おそらく辛く、苦しく、絶望的なことでもあるのだ。