奇跡のたたずまい

 ブッダが死んだとき、ゾウも泣いた、シカも泣いたといわれる。ゾウやシカが泣くわけがないじゃないか、などと目くじらを立てる人もおるまいが、ゾウも泣いた、シカも泣いたと言い伝えずにははいられないほど、周囲の人々の喪失感は深かった、という事実は重要である。

なぜブッダが死んだとき周囲の人々はそれほどまでに嘆き悲しんだのだろうか。ブッダの説いた人生や社会に関する観法や理法が普遍的なものであり、そのビジョンやメソッドが人々の心の中に息づいていれば、生身のブッダが死んだところでさして痛痒もないはずとも思われるが、やはりそういうわけにはいかなかった。

ブッダの死とともに消え去ったもの、永遠に失われたもの、致命的に損なわれたものがあったからこそ、人々は深く嘆き悲しんだのである。

永遠に失われたのは、ブッダの観法や理法そのものではなく、それを語るときのブッダの実存である。おそらく人びとは、冷たくなったブッダを目の前にしてはじめて、自分たちが帰依してのは、ブッダが説くメソッドというよりも、それを語るときの情調であることに気づいたのである。

保坂和志の文章に、晩年の小島信夫のあるトークショーでの話しぶりが、「その話の内容というよりも、話し方とかたたずまいとかも含めた全体が奇跡のようによくて、会場にいた若い人たちがみんな感動した」というものがある。

「話し方とかたたずまいが奇跡のようによい」とはどのようなものか判らないが、言葉の魅力はそれを発する人の魅力に拠るのはどうやら真実らしいと思われる。

なお、恐らくこの「たたずまい」は、その場に居合わせた人にしか味わえない性質のもので、たとえこの講演の筆記録や映像が残されているとしても、その風韻はトークショーの終演とともに永遠に失われてしまう性質のものだったような気もする。

妙な言い方になるが、ある意味、自分で本を書いている人間はどこかしら怪しくて、死んだあとにその言葉が消えるのを惜しんだ周囲の人びとが、後世に向けて書き残してくれるような人こそが本物だといえるかもしれない。ブッダだけではなく、ソクラテスも、孔子も、キリストも、今に残るすぐれた哲理はすべて周囲にいた人々が書き記した言行録なのだから。(日本人では、「歎異抄」をその弟子をして書かしめた親鸞もその列に入るかもしれない。)

また、晩年のゲーテの秘書的存在だったエッケルマンの著作「ゲーテとの対話」もその類のものかもしれない。ゲーテは有名な小説や戯曲をいくつか遺しているが、この言行録はそれらを上回る読者を獲得しているのではないだろうか。

おそらくゲーテは自分の頭の中を整理するために、エッケルマンにさまざまな由なしごとを、思いつくままに語ったのであるが、その感興と滋味に満ちた断片は、エッケルマンという稀有な筆記者を得て、世界文学史上に輝く宝石になったのである。

仏典における「如是我聞」や、論語における「子曰く」は、その断り書きに続く言説が聞き取りであることを示しているが、伝言ゲームにおいてはだんだん主旨がよじれていくことが常態である一方で、多くの人手がフィルターになってその思想の核心がより顕わになったり、より複雑に高度に発展したという側面もあったのではないだろうか。