レオナルド・ダ・ヴィンチの「天才性」について

●そもそもダ・ヴィンチは「芸術家」としての美術史上における地歩は、実はそれほどのものでもない。同時期の芸術家としては、彼はミケランジェロラファエロなどの錚々たる専業芸術家と比較すれば、作品の質、量ともにかなり見劣りがする。

ダ・ヴィンチは、世に「万能の天才」と呼ばれている。彼がその能力を発揮した範囲は、絵画はもとより、バイオリンの演奏、建築家、都市設計者、兵器設計者、寓話作家、とあらゆる芸術・科学分野に渡るのだが、これらの顕在化した様々な能力は、潜在的にはひとつの根として繋がっていたと見るで、それは「すぐれた観察眼」である。

●かれは、当世風に言うと「アイデアマン」でもあった。おそらく彼は、周囲から「恐ろしく頭がいい男」と見なされており、様々な課題を抱えた人々から様々な相談を持ちかけられ、それにいちいち応えているうちに、その仕事の範囲が広汎になっていった。

●芸術家と科学者の兼業といえば、昨今でも小説を書く医者とか、エッセイを書く分子生物学者とか、俳句を詠む物理学者などがいるが、その多くが「科学と文芸」という組み合わせであり、ダ・ヴィンチのように科学者と美術家をハイレベルで兼業したケースは、古今東西ほとんど無い。

●科学者と美術家の兼務が容易ではない理由は、美術作品の制作というものが、肉体的訓練に深く依拠したいわば「職人技」であることに理由がある。極端な話、散文や物語や詩歌などの文芸創作は、知識と体験の蓄積と頭の才覚があれば、別段訓練をしなくても、それなりのものをつくることができる。つまり、文筆業は「眼高手低」たることが許されているのだが、上質の絵が描けるようになるには、どんな才能の持ち主でも一定時間の肉体的訓練が必要である。この事情は、一流の科学者と演奏家を兼ねることが不可能なことに似ている。

●絵画を描くことや楽器を演奏することなどの肉体に依拠した芸術が、幼児期からの継続的訓練が必要である以上、さしあたって先ず芸術家としての修行を積み、しかるのち科学者になる、という順序立てが必須になる。この「美術家から出発して科学者に至る」という、ダ・ヴィンチが通ったルートを、現代においてたどるのはほとんど不可能である。

●芸術(美術)と科学は、もともと隔絶して存在しているものではなく、観察眼と創造性という共通因子を持つ双生児であり、ダ・ヴィンチが資質的にその能力をハイレベルで兼備していたとしても、さほど驚くべきことではない。

ダ・ヴィンチは、表層の美を感受するときは芸術家であり、内層の構造を探るときは科学者(解剖学者)になる。しかし、彼は表層と内層を区別する必要などには無頓着だ。なぜ区別する必要があるのか。そのハイレベルの混交にかれの天才性がある。現代ではこの混交は許されていないが、許されていないのは見かけだけで、この混交なくして、科学においても、芸術においても、真に優れた仕事はできない事情は、おそらく永遠に変わることはない。