禍根を残した「従軍慰安婦問題の妥結」

今回の合意は、日韓両国の話し合いの結果に至った国民納得ずくのものではなく、アメリカの強引な仲裁の結果である表層的な手打ちにすぎす、本質的な解決には程遠いだけではなく、それはのちのち大きな災いとなって跳ね返る可能性がある。

アメリカは、ヨーロッパにおいてはNATO諸国と軍事同盟を結び、太平洋においては、日本、オーストラリア、韓国とそれぞれ二国間同盟を結んでいる。

オーストラリア、韓国とは集団的自衛権を伴う通常の軍事同盟だが、日本とは、日本の安全保障を米国が担う片務的な軍事同盟で、アメリカの安全保障にも日本が貢献する双務的な条約は結んでいない。

そこでアメリカは、「親中革新」(ちっとも「革新」ではないが便宜上の区分けとして)」の民主党政権から、「親米保守」(ちっとも「保守」ではないが以下同文)の安倍政権になったのを期に、日米安保条約を、アメリカが日本を守るのみの片務的なものから、日本にもアメリカを守らせる双務的なものに変質するように、日本サイドに強く働きかけてきた。

安倍政権が昨年来進めてきた「憲法九条の解釈変更」と「安保法制の整備」にはこのようなアメリカ側の強い要請(要するに圧力あるいは日本側の脅迫的な忖度)が背景としてある。そして、それを日本に承服させるようにアメリカが持ち出してきたのが、南シナ海において次々に構築されている「軍事拠点整備」を象徴とする「中国の脅威」だった。

しかし、アメリカの世界戦略(もはや戦略と呼べるべきものは何もないが、便宜上の呼称として)の重点は、太平洋ではなく、中東にあり、日本を集団的自衛権の枠組みに取り込む真の目的も実はそこにある。そのようなアメリカの「アジア軽視」の本音は、中国の海洋進出をここまで放置してきた事実からも明白である。

アメリカの一連の日本への「要請」は、中東でこれから始まろうとしている地上軍部隊(陸軍)を導入したあとの泥沼戦争におけるアメリカの負担を少しでも減らす為に、日本の自衛隊を有効活用しようというのが真の目的である。その目的を果たすために、アメリカは中国(の脅威)をダシにしているのだ。

うがった見方をすれば、中国の南シナ海における狼藉をここに至るまで野放しにしてきた理由も、それによって日本の安全保障上の危機意識をあおり、「中国から守ってほしくば、集団的自衛権を行使して、俺たちの中東での戦争に参加しろ」と脅迫し、自陣へのコミットを強く進めるための戦略だったのかもしれない。

しかし、たぶんそこまでの狡猾さ(あるいは腹黒さ)は、かつてはともなく今のアメリカの政府首脳にはない。中国の「海洋進出」を招いたアメリカの「野放し」は、単にオバマ政権の外交音痴と間抜けが理由にすぎない。

あるいは、南シナ海における中国の動きは、ホワイトハウスは情報としては把握していたのだろうが、頭の中は中東で「いっぱいいっぱい」で、まともに受け止めていなかった(あるいは深刻に受け止めたくなかった)のである。(逆に見れば、中国側には、アメリカの中東忙殺の間隙を突く、したたかさがあった、ということだ)

ところで、アメリカは、太平洋においてそれぞれ二国間同盟を結んでいるオーストラリア、日本、韓国を、それぞれどう観ているのだろうか。

簡単にいうと、オーストラリアは同じ大英帝国を父に持つ「兄弟」だが(たぶんアメリカは自分たちを「長男」であり、オーストラリアを一段落つる「次男」だと思っている)、日本と韓国はともに「家来」だと思っている。

さらにいえば、アメリカは、日本と韓国を軍事戦略的観点では、「ほぼ地続きの同じ国」ぐらいにしか考えていない。つまり、太平洋戦争の終戦まで、日本の領土が朝鮮半島全体にまで及んでいたことから、アメリカは戦勝によって日本列島と朝鮮半島(実質的にはその半分だが)を領土化したと認識しており、それを日本人と韓国人にそれぞれ委任統治させてている、ぐらいの認識でいるのである。

さて、アメリカから見れば同じ「家来」にすぎない日本と韓国だが、両国自身は「同じ国」だとは思っていない(当たり前だ)。それぞれの国民は自らを、独自の歴史と文化的背景がある、かの国とは全く別の国だと思っている。こう書けば当たり前だが、信じがたいことに、政治や経済を牛耳るエスタブリッシュメントも含め、多くのアメリカ人は(おそらくヨーロッパ人も)そう思っていないのが現実である。

これは我々や韓国の人たちからすると確かに信じがたいことがだが、たとえば日本からみてバルト三国エストニアラトビアリトアニア)のそれぞれの国の違いはどこにあるのか的確に腑分けできる人が、日本にはほとんど皆無であることと似たような事情による。

このように、日本人と韓国人のどこがどう違うのか判然としないアメリカ首脳部の本音を代弁すれば、韓国が、たとえば縁もゆかりも恨みも領土的利益も、つまり「なんの関係もない」ベトナムまで出向いて五千人からの戦死者を出すことも厭わないほど、集団的自衛権をけなげに行使しているのに比べて、なぜ日本は、韓国と同じアメリカの家来の分際で、集団的自衛権の行使という軍事同盟の初歩的な契りさえもなぜ拒否しているのかが、まったく理解できていない。

(さらに驚くべきことには、オバマ政権だけでなく、日本の安部政権にしてからが、「日本が、なぜ集団的自衛権は持つが行使しないという立場をとってきたのか。そこにどういう歴史的経緯があるのか」について、理解できていなかったのだ!・・・が、本稿はそれを論じることが主眼ではない)

繰り返しになるが、アメリカは日本と韓国を「同じ国」、あるいは国は別だが「同じレベルにいる家来」ぐらいに思っており、まさにそれば、今回の従軍慰安婦問題における妥結の背景にある。

今、オバマ氏は、あと1年に迫ったデッドラインへ向けての「レガシー(政権遺産)」づくりに躍起になっている。おそらくオバマの頭の中(あるいは政権内で共有情報)には、任期切れまでに消化すべき「レガシー」が、まるで夏休みの宿題リストよろしくリストアップされており、そのリストの中には、「太平洋の軍事的安定の基礎をつくる」という一項目がある(おそらく)。

 このレガシー項目は、重要度としては、「TPP」や「イランとの核合意」などに比べると低いだろうが、それでも太平洋の(アメリカにとっての)安全保障が、現在3方向の二国間同盟にとどまっているものを、4国間(アメリカ・オーストラリア・韓国・日本)の軍事同盟に発展させるための布石として観れば、これは十分な「レガシー」になるという価値考量のもとに行われている(たぶん)。

さらにいえば、オバマ政権は、混迷を深める一方の「中東」でのレガシーづくりを事実上放り出しており、(オバマ政権発足時に対外政策においてもっとも期待されていたのがこの中東に安定をもたらすことだった。そういう意味ではオバマ政権は決定的に敗北政権だったということになる)、そのかわり「太平洋」で何か目に見える成果を出したいという焦り駆られており、今回の妥結の背景になっている。

今回の日韓の妥結は、同じチームに属しているのにいつまでもいがみ合っている二人の生徒(日本と韓国)に業を煮やし、どやしつけて和解させたこわもての先生(アメリカ)という図式で、ひとまずは観てみいいと思われるが、現実の学校の教師がつねに生徒間の人間関係を自分たちが理解しやすい単純な構図でゆがめて失敗するように、「日本と韓国のいがみ合い」を単に「従軍慰安婦問題がネックになっているから」と「分析」して安心している毎度おなじみのアメリカの浅慮・短慮ぶりにも、あきれざるを得ない。

日本と韓国の「いがみ合い」には、アメリカが誇る「インテリジェンス」がひとまず「分析」して勝手に理解しているより、遙かに深い歴史的背景がある。これについては詳述する煩にたえないので大幅に省略して書くと、中華文明の最優等生であり文治の国・文明国たる朝鮮民族が、中華文明の劣等生であり、尚武の国つまりは野蛮国である辺境国・日本に、千年来の倭寇、秀吉の朝鮮出兵を経て、日露戦争後占領され、三十六年間統治され、インフラ整備され、改名を強いられ、教化された、民族の屈辱の歴史だ

従軍慰安婦問題」は、韓国が日本に対して抱いている屈辱の歴史のシンボルにすぎない。つまり、そのシンボル取り去ったからといって、問題の本質的な部分が解決されたわけでは全く無く、

それどころが、その目に見える旗印が失われたことによって、怨念はさらに目に見えない深い地層に潜行し、いずれ、より大きなエネルギーをもってして地表に噴出する可能性が、さらに高まったとすらいえるだろう。

また、今回の圧倒的に日本に利する妥結の背景には、安倍政権が、アメリカのための集団的自衛権の行使を明確に打ち出したことに対して下賜された「ご褒美」としての意味づけられるだろう。

表面上はともかく、韓国の国民感情として、こういったアメリカのやりこめの手口と、その下賜に沸き立っている日本の無邪気さを受容できる可能性はきわめて低く、もし、韓国が正常な民主主義が作動している国ならば、それを選択した韓国の現政権をそのままにしておくはずがない。

安倍政権にとっても、今回の譲歩を含む妥結は、少数とはいえもっとも確固たる支持層であるネトウヨやそれに類似する「自称愛国者」たちの反発を買うだろうが、こういう知的レベルの層がどう大言壮語したり、妄動しようが、かつての右翼の街宣活動と同じで、大勢への影響はほとんどない。大きいのは、韓国国民の感情を強制力を持って封じ込めたことだ。

結論をいえば、安倍氏のいう「不可逆的な解決」など妄想すぎない。政治家同士の表層的な「戦略的妥結」が、草の根の国民感情の噴出をどうすることもできないことなど、日韓の両国間の戦後史を眺めれば明らかなことではないか。