STAP細胞の実在性について

 自分はその論文作法上のお粗末はさておき、STAP細胞は実際に生成に成功したのではないかと考えている。その理由は、科学的成果の場合、現代においては如何に巧みにデータを捏造をしても、それはいずれ時間の問題でバレるに決まっており、そんな一時の虚栄心を満足させるために一生を棒に振るリスクを冒す研究者がいるとは、どうにも考えにくいからだ。

今回のケースでは、その「捏造」の手管が、素人にもわかるような稚拙なものだったらしいから、ぎゃくに実験は成功だったのではないかと思える。本当に科学界全体を騙そうとしたのだったら、半可通の理解など及びもつかないもっと精巧な手口を使ったにちがいない。

科学とは仮説を立て検証する営為だが、検証は論理的に行う必要があるが、仮説はひとっ飛びで直感的に成り立つもので、その成立の過程を合理的に説明するのは不可能である。極端な話、仮説については「なんとなく思いついちゃった」で十分なのである。

世間一般の人は、論理的思考を積み上げて発見やアイデアという高みに到達すると思いこんでいるが、こんな不自然な頭の動きはない。実態は全く逆で、まず発見やアイデアを得てから、その社会的説明のために後づけで論理を組み上げるのである。つまり論理とはアイデアを説明するための方便にすぎず、論理にはアイデアを生む力などもとより無いのである。

STAP細胞の場合も、まず、なんだか知らないがとにかく「できてしまった」のである。では、この現象をどう説明づけようかという段になり研究者は少々乱暴な手段をとってしまって、その乱暴な手つきが斯界と世間から糾弾されている、そういう図式ではなかろうか。

理研は今後一年間をかけてSTAP細胞の実在性を検証するとしているが、なんでそんなに時間がかかるのだろうか。愚考するにおそらくこれは「自分たちはSTAP細胞は実在すると考えている。でも次に発表するときは二度と論文上のお行儀の悪さは許されない。よって、その検証と執筆には万全を期するために、十分に時間をかけさせてもらう」という彼らのメッセージのような気がするのだが、どうだろうか。