煙が目にしみる

自分は二十年間喫煙者だったが、最後の十年間は、タバコを吸い終わるたびに「タバコの無い世界に行きたい。。」などとメルヘンチックな妄想にひたっていた。

「タバコでストレスが解消できる」という論理は、正確にいうと「タバコを吸いたいというストレスは煙草を吸えば解消できる」ということに過ぎない。

つまり、喫煙者とは、常時「タバコが吸いたい」というストレスにさいなまれている人たちで、タバコによってストレスを解消しているどころか、体内にストレスを拡大再生産している人たちなのだ。

国が主管したさる調査によると、自殺者の中に占める喫煙者の割合は、通常の喫煙率より格段に高いのだそうだ。喫煙と自殺にどういう因果関係があるかあやふやだし、自殺にはさまざまな複合的な要因があるので一概に断定することはできないが、「喫煙をしていること」そのものが、自殺に直接的・間接的に影響を及ぼしている可能性は、個人的にはうなずけるものがある。

タバコを吸うから死にたくなるのか、死にたくなるからタバコを吸うのか定かではない例も多いだろうが、どちらにせよ、悪のスパイラルの一環を構成する要素にタバコがなりうることは確かなように思われる。

喫煙という行為は、重度に日常生活を束縛する。どんな社会的行為(仕事はもとより、レジャーから趣味・恋愛まで)をするにもタバコの助けが無くてはできなくなる。

そういう人たちにとって、タバコを切らすことは、深海でスキューバーダイビングをしている最中にボンベの酸素が無くなることに等しいまでの恐怖であり、そういう束縛とそれが産み出す恐怖が、その人の自立心を萎えさせ、精神の奥深くをじわじわと蝕んでいく。それが自殺の遠因の一つになっていないと誰がいえようか。

タバコは精神だけでなく、当然ながら肉体も蝕む。喫煙がもたらす疾患といえば、誰もが「肺がん」を思い浮かべるだろうが、喫煙の肺がんとの関連性は、今のところそれを証明する明確なエビデンスは無いのだそうだ。

明確なエビデンスがあるのは、高血圧・脂質異常症・糖尿病といったいわゆる「生活習慣病」(昔は「成人病」といった)と肺気腫である。生活習慣病の末路は動脈硬化症であり、動脈硬化は心臓冠動脈に起これば心筋梗塞狭心症になり、それが脳に出れば脳梗塞となる。いずれも、死に至る病だ。

肉体面への喫煙の悪影響は、ひろくメディアで喧伝されており、いまさら言うまでも無いことだが、自分が本当にシリアスの禁煙を考えた理由は、喫煙が及ぼす精神面への悪影響であった。

禁煙を決断した当時自分は独身の一人暮らしで害を及ぼす家族もおらず、おまけにたいした夢も希望も無く、喫煙がもとで自分の体を壊すことなど、少しもシリアスにとらえていなかった。

そんなことよりも、タバコの奴隷になって、始終惨めな思いをさせられている屈辱感と、こんなに惨めな思いをさせられていながら縁を切ることが出来ず、タバコにすがりついている自分の情けなさ、心の弱さへの軽蔑心で、日々身を切られるような思いだった。大げさではなく、喫煙行為は自分の自尊心を崩壊させていたのである。

自分は、ここまで積もりに積もったタバコへの嫌悪感で、ようやくタバコと縁を切ることができた。その動機は、身体ではなく心の健康を回復するためだった。

「愛煙家」とか「紫煙をくゆらす」といった言葉のムードに惑溺できる人、あえて不健康な行為を冒すことが自分の人間的魅力を構成していると思い込んでいる人、死に至る病へ導く自傷行為にある種の快感を感じている人は、すでに喫煙行為が自己のアイデンティティにまでなっているのだろうから、生涯それを続ければ良いと思う。

ただ、ようやく抜け出ることができた自分は、あの惨めな生活に戻る気は毛頭ないということだけである。