死に至る病

 小林秀雄によると、中原中也の死因は「孤独病」だそうだ。もちろん、そんな病名が医学的にあるわけではなく、たぶんに文学的なものだが、そんな架空の病名がピッタリくるケースが、自分の知る限りひとつある。2008年の飯島愛の死である。

彼女の死因は結局は「肺炎」に落ち着いたが、それが特定されたのは死後三か月近く経ってからであった。いかにもとってつけたような病名でもあり、よくは知らないが、現代の医学水準で、死因を特定するのにそんなに時間がかかることが通常ありえるのだろうか。

通常はありえないことだとすれば、これはなんらかの別の病名をつけるべきではないのかと考えていたところ、冒頭の「孤独病」という言葉が、当時自分の頭に浮かんだ。

 本来は健常者である人が後発的に罹る精神疾患の原因とは、煎じ詰めるところ「孤独」であり、それが昂じれば、あらゆる臓器が機能不全になり、まるで工場の操業停止のようにその働きを止めてしまう、なんてこともあるのではないだろうか。

「時代病や政治病の患者が充満している中で、孤独病を患って死ぬにはどのくらいの抒情の深さが必要だったか」と小林秀雄は書いている。小林がここで「抒情」という言葉にどんな意味をこめていたかは明らかではないが、ひとまず「繊細さ」と翻訳してみれば、それは彼女にもある程度当てはまっていたように思える。

絶望のことを「死に至る病」だといった哲学者がいたが、彼女はその言葉どおり、自分の孤独に絶望し、そして死に至ったのかもしれない。