財務次官更迭事件始末記

 当初自分はこの事件を、安倍政権が、財務省を徹底的に腐りきった役所に貶めることによって、政権の一連の不祥事から国民の目を逸らす、あるいは糊塗する狙いがあると思っていた。つまり、安倍政権が福田財務次官をいわゆるハニートラップにはめたのだ、と思っていた。

しかし、この事件が公になると、マスコミや世論は財務省だけではなく、政権ぐるみで批判しはじめたので、目論みが外れた政権はあわてて火消しに走りはじめた。その一つが「名乗り出るはずがない被害者の名乗りを促す」ことだったが、これが更に火に油を注ぐことになった。もはや打つ手打つ手が裏目にしか出ない、政権末期の哀れな姿‥この一連の騒動の実相はそんなところか、と思っていた。

この自分の認識は誤りだった。元事務次官に性的いやがらせを受けていたのはテレビ朝日の女性記者で、「事務次官番」だったこの記者は、恒常的に元次官からセクハラ行為を受けており、その状況を上司(女性)報告したが、何の思惑や動機があったのかわからないが上司はこの訴えを握りつぶしたので、女性記者は、やむなく週刊新潮にリークした、というのが、現段階で報道されている範囲では「ことの真相」のようだ。

女性がリーク先に同誌を選んだのは、先頃起きた安倍晋三御用記者(元TBS支局長)による女性ライター強姦事件(不逮捕)を、政権に目を付けられることを恐れた大手マスコミが軒並みスルーする中、もっとも熱心に追求していたのが同誌だった、という理由によるという推測もある。

自分に理があり、相手に非があるという確信があり、なお相手と周囲から理不尽を押しつけられる状況が継続することが、どんなに苦痛に満ちたものかは論を待たない。苦痛は継続すればいつしか絶望に変わる。日々降り積もる苦痛が絶望という根雪に変われば、それは容易に動かせない重量を持つようになる。

もはや自分の持つ力(体力や権限)ではびくとも動かせない、しかし頭上からは容赦なく理不尽が積もり、負荷がのしかかってくる。この状況が人間の精神をいかに残酷に蝕み、衰弱させ、取り返しがつかない状況に追い込んでいくかは、そのものを体験した人か、類似な状況を見聞きした人にしかわからない。

「人間が自殺するのは、日々繰り返される無意味な努力の継続に耐えきれない時だ」という小林秀雄言葉があるが、例の公文書改竄事件で組織から命じられ直接改竄に手を染める役回りになった自殺者もそうだったのだろうし、会社から命じられ「事務次官付」の役回りになった女性記者も、その一歩手前まで行っていた可能性がある。

死んだ財務局の男性職員と、生き残ったテレビ局記者の間には、ただの一歩の距離しかないが、その一歩の境目にあったのは、男性職員の方には「こういう場合には改竄やむなし」という旧い組織風土の「敵」があり、女性局員の方には「もはやこういうことに泣き寝入りする時代ではない」という新しい社会風土の「味方」があった、ということなのかもしれない。

それにしても社会的に地位がある男性に、下位者の女性への抑制のきいた振る舞いを求めるのはそんなに難しいことなのだろうか。昔はもっと酷かった今はまだマシな方だという見方もあろうが、この部分のコントロールが完全に効かないと、もはや組織が立ち行かない状況になっているし、極端な話、中年以上の男性には女性に権力を持つ立場には就かせないという荒療治が必要になる時代も来るかもしれない。