被害者と犠牲者

 見かけは同じ「大義に殉じた」歴史事例でも、特攻隊と赤穂浪士では質が違う。特攻隊は戦争の被害者だが、赤穂浪士は武士道の「犠牲者」である。犠牲者は美化しうる存在だが、被害者は悼むべきもので、美化してはならず、美化してはさらなる「被害者」を再生産することに繋がりかねない。

ちなみに、「犠牲」とは、大きな目的のためにその身や利益を供出することで、「交通事故の犠牲者」とか「地震の犠牲者」という遣いたかは誤用である。ただ、誤用も蔓延すれば誤用でなくなるのは言葉の常ではあるが。

なお、世の徳目は、ほとんどが権力序列の上位者による下位者制御に都合の良いように作られているものだ。滅私奉公にせよ、君臣間の忠義にせよ、長幼の序にせよ、夫唱婦随にせよ。それは社会や人心の安定をはかる上で、必ずしもマイナスではないが、その本質に無頓着だと、貧乏くじを引くことが多くなる。