「オリンピック中止」による損害の非対称性

 どだい開催は無理な状況になっているのだから、はやく中止を決めて傷口を塞がないと、その災いは、後世、最大の「後手後手」と評されることになってしまう。

開催中止の実害は、オリンピック賛成派も反対派も等しく被ることになる。原発事故と同じ構図だか、理不尽なことである。自分はどちらかというと「賛成派」だったから、むべなるかな、であるが・・・。

IOCのバッハ会長」なぞ、たとえ東京オリンピックがいつ中止になっても社会的メンツはともかく個人的にはなんの痛痒もないのだから、中止決定は、日本が主導で決めなくてはならない。

とはいえ、300万人が亡くなって、兵器が払底しても降伏できなかった国に、主体的な中止決定ができるとも思えない。終戦の時のように天皇が出る幕でもない。となれば、海外からの不参加表明が相次ぐ(とどめはアメリカの不参加)という「外圧」によって、「中止に追い込まれる」という状況以外想定できない。

海外は参加不参加の判断を極端に言えば開会式前日(さらに言えば競技日前日)まで保留できるが、準備が必要な主催側はそうはいかない。この「中止による損害の非対称性」を直視して日本は「自分の身を守る」手段を講じなければならないが、今の政権では絶対に無理だ。能力以前に、彼ら自身が誘致活動の主体に加わっていたから。