きょうだいが走り回る小川の畔

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 この絵を描いているあいだじゅう、10歳ぐらいの長男を頭にした三人きょうだいが、自分の周辺を走り回っていた。もちろん、自分の描いている絵に興味を持ってのことではなく、目の前に広がる自然の風景に興奮していただけなのだが。

一番下の女の子はおそらくまだ2歳に満たず、カタコトの日本語で必死にきょうだいの会話に割り込んでいた。この女の子のしゃべっていることをよくきくと、抑揚はなんとなく日本語っぽいのだが、意味は不明である。

おそらく、この女の子は、きょうだいが発している声に「意味」があることが、まだあまり理解できていないのではないか。ちょうど、かつてのタモリや現代の中川家・礼二のネタ「韓国人の会話」のようなもので、内容はまったくわかっていなくとも、その言語的気分だけは精確に把握している状態、といおうか。

つまり今の彼女は、これから日本語を理解し縦横無尽に使いこなすための枠組みや容れ物、例えて言えば「棚」や「引き出し」の用意が済んだ状態で、いよいよこれからは、情報内容を咀嚼して詰め込んでいくステータスに入るところ、なのかもしれない。

ちなみに画面右手の太い樹木の幹は人間のお尻に酷似している。本物の木はもっと本物のお尻に近い形をしているのだが、上手く形がとれず、その木の幹がいかにお尻に似ているのかは、残念ながらあまり伝わっていないだろうと思う。