ある教室の閉鎖

 小学生の子供の習い事の先生(女性)が、「諸般の事情」により「苦渋の決断」の末、突然教室を閉めることになった。

この先生の専門家としての技量や、業界での地位などを自分は知らないが、仕事への真摯な姿勢を自分はかねてから敬服していた。

あらゆる「先生」は、技の訓練師である前に精神の伝道師であるべきだ。それには先生自身が、深く技芸に愛着を持ち、喜びを感じていることが必要になる。これは先生が「その道の達人」であるより重要なことだ。

生徒たちはそういう先生の背中を見て人生の厳しさや喜びを感じとり、いずれそれは、めいめいの「生きる力」に昇華して、生涯を支える内面の熱源になる。これは大げさな話ではない。人間の精神や文化の継承の有りようは、いつの時代でもどんな国でも基本こういう具合なのだ。

子供も少なからず動揺していたが、より長く教室に通ってきた高校生や大学生の生徒たちのショックはいかばかりであろうか。

閉鎖の知らせは何の前触れもなく届いた一通の封書だった。求道家にしばしばみられるシャイな性格の先生のようだったから、直接口でいうのは難しかったのかもしれない。人間と人間が面と向かうと、どう心が動くかしれたものではない。今は先生自身、自分の心をコントロールするのに難しい状態にあるのかもしれない。

封書は、どうかあまり詮索しないで自分の意だけを静かに受け容れてほしいと、祈るような気持ちで出したのかもしれない。


エドガー・ドガ「踊り子」