2014年衆議院選挙前日にて

 政治家の選挙活動とは、選挙期間中に街中で騒音をまき散らすこととほぼ同義だが、これは立候補者当人の不安払拭のためになされるもので、つまりは神社への参拝やお百度参りと同段であり、選挙民の投票行動に寄与する効果はほぼゼロだといっていいと思う。

立候補者の論説を聴いていると、「口では大阪の城も建つ」という古いことわざを思い出す。とくに維新の会の論説は、言っていることだけを聴いていると至極もっともだが、どうせ何一つ実行できないことが既にバレてしまっているので、何一つまともに聞くことができないのが哀しい。

「消費税は延期でなく廃止」「原発ゼロ社会の実現」と叫んでいるが、そもそも政治的決定に影響をおよぼすだけの立候補者数を揃えてすらいないくせに、そんなことよく言えたものだ。どう考えても彼らは、選挙民にすがっているようなポーズをとりながら、その実、心の底からバカにしているのだ。

今、政治家を目指す動機といえば、二世か、社会的敗残者のリセットのいずれかになっているきらいがある。いずれにしてもロクなものではない。これだったら、以前多かった「地元の名士」や「官僚出身者」の出馬の方がどれだけましか知れない。

司法やビジネスの世界だったら、目の前の相手を口舌で圧倒し、その場その場をしのげばたいていはこと足りるのだろうが、政治上の発言は、目の前の相手の何十万倍の人々が、耳を澄ませて聴いている。「政治家」たちは、そのことがほんとうに解かっているのだろうか。

政治を「カオスが本質である人間社会に、秩序をもたらす営為」と定義づければ、これほど重要で尊い仕事もない。それをこれほど政治的な(権力の保持や奪取のために駆け引きや策略を弄する)人々の手にゆだねなくてはならない狂おしい齟齬は、永遠に解決されないのだろうか。

たとえば「料理」は料理を作りたい人に作らせるべきだが、「政治」は政治家になりたがる人間にやらせるべきではないのではなかろうか。これは人を裁きたがる人に裁判官をやらせてはならない理屈に近い。