ゼロサムゲームにおける「国益」とは

 金融緩和によってデフレが解消するというのは原理的な理屈はわかりやすいが実際的には非現実的だった。これは繋がっている太平洋は大西洋で海面の水位は同じになるはずだが、現実には地球の自転や月の引力や海流や風という複雑な変数によって大きな差ができるという事情に似ていると思う。

金融緩和によって、富めるものは富み、貧しきものはさらに貧困になる格差社会が現出した。そしてかつての「9割の国民が”中流”意識を持っている」という均質性は衰微し、政治的・経済的強者たちが「自己責任」や「能力主義」を叫ぶ、古代的な「弱肉強食」社会を大っぴらに肯定するようになった。

資本主義はその構造上「収奪」や「搾取」のターゲットが常に必要である。かつては植民地や発展途上国がワリを食っていたが、それらの「後進国」が経済発展することによって資本主義国家は海外に収奪の対象を求めることができなくなり、矛先を国内に向け始めたのが、国家内の経済格差の裏事情でもある。

だから、「後進国」に経済発展を促すことは自国内の貧困層を分厚くする巡り合わせにもなる。これは善悪を越えた資本主義の宿命で、経済は、より俯瞰的な視点に立てば誰かがトクをすれば必ず誰かがソンをする一種サイコロ賭場の出目のようなゼロサムゲームであって「誰もが幸せになる」などあり得ない。

だから、これからの政治家や財界人は、世界の共通ルールは道義として護りつつ、真の意味での「国益」というものを真面目に考えなくてはならない。国益の前では政治的信条やら、左右の対立やら、あの国が嫌いだとか、あの国についていけば後生安心だとかは、たんなる「思い込み」として霧散するはずだ。

真の国益を追及するに当たってその答えになりえるのは「保護主義」という考え方ではないか。この考え方を突き詰めれば「鎖国」になってしまいこうなると現実から遊離するが、グローバル経済からの一定の遮断を企図した、国内産業の保護と振興はこれからの政治家が目指すべき一つの答えだと思う。

かつて自民党は農協の票欲しさにTPPに反対したが、中国外しのTPPが「軍事同盟」になりえるという視点を得てから一転してこれに賛成することになった。

巨大な輸出先であるアメリカや中国の参加なくしてTPPは日本には「安い商品が入ってくる」という輸入者目線以外のメリットはまるでなく、そもそも、TPPによって国内産業が崩壊すれば、国民には「安い商品」すら購買する力が失われて、そんな市場は世界から見放され、商品すら入ってこなくなるだろう。

日本はまごうことなき輸出立国だから、「保護主義」は自国の首を絞めることになりかねない一種の劇薬でもある。日本にはトランプのように「輸入はしないが輸出はさせろ」とごり押しできる国力もないのだから。

保護主義を掲げるには、真の国益を熟考した上の、非常に微妙な匙加減の外交力が必要なのだが、現政権の目線は、近視眼的な威勢のよさだけを評価する支持者にのみ向かい、それ以前に微妙な外交を可能にする知性が致命的に欠落していることが、とても不安な気持ちにさせる。